同潤会アパート
東洋大学建築学科助手をしていたとき、学生に同潤会青山アパート解体後を想定して、複合施設を設計する課題を出したことがある。(青山アパートは解体が決定していた)今から思うと、なぜこのアパートを保存活用するような課題にしなかったのか悔やまれる。課題を提出してすぐに、学生たちと一緒にまだ解体されずに残っていた青山や代官山の同潤会アパートなど見学した。きっと私が連れていかなければ、一生出会うことがなかった建築物であったと思われる。(特に代官山の方は)
代官山のアパートは私にとって特別な思い出がある。学生の頃、代官山の設計事務所でアルバイトをしていた時、このアパート内に併設された食堂にたまに昼食を食べに行っていたからである。この食堂には名物おばさんがいて、定食が揚げ物だったりすると、ソースを有無を言わさずかけられてしまう。代官山のアパートには公衆浴場も設置されていた。渥美清さんはこの浴場の常連だったと聞く。
このアパートがなくなって代官山には行く気が起こらなくなった。代官山アパート内に構築された静寂な環境を知るものにとって、今の代官山はあまりにも落ち着きのない街になってしまった。(ヒルサイドテラスだけは別格)
20年前、マルク・プルディエというフランス人の建築家によって出版された『同潤会アパート原景』(住まいの図書館出版局)という書物を私の講座を受講してくれた学生たちに無料で配布したのだが、彼らはまだ持っているだろうか?
by kurarc | 2012-10-26 22:35 | saudade-memoria