『失われた時を求めて』抄訳版

プルーストの『失われた時を求めて』抄訳版(鈴木道彦編訳)を読むことにする。私は小説は苦手であり、あまり読む方ではないが、この小説は大学生の頃からずっと気になっていた。大学の学生の頃にはまだよい翻訳が出版されていなかったと思う。その後、社会人になってずっと忘れていた。

それをなぜ思い出したように読もうと思ったのか?それは、向こうからやって来たのである。読む本というのは、私が選択するのではなく、選択されている、と思われるときがある。太宰の『ヴィヨンの妻』や、渡辺一夫の『ルネサンスの人々』、アンドレ・ルロワ=グーランなど、フランスに関わる書物を渉猟している間に、プルーストがあちらから歩み寄ってきたのである。

建築の保存活用ということに関わっているときに、いつも気になっていたのは、人間の記憶、ということであった。記憶はなぜ大切なのか、都市の記憶、建築の記憶をはじめとして、人のコミュニケーションや生を躍動させるような体験としての記憶について、もう少し深く掘り下げなければと常々思っていた。

そうした経緯からもプルーストを再発見したのだと思う。プルーストは直感によって記憶の意味を掘り下げていったが、最近ではその試みは、脳科学(神経科学)の世界から検証されるまでになっている。(『プルーストの記憶、セザンヌの眼』、ジョナ・レーラー著など)それは、「藝術」という認識を再定義することにもつながっている。「藝術」は19世紀につくられた概念だが、プルーストの文学のように高度な藝術的表現については、人間を探求する上で必要不可欠な事象だということを認めざるを得ない。

プルーストはベルグソンの哲学から多大な影響を受けているから、ベルグソンについても掘り下げる必要が出てくる。こうしてまた新しい連関の旅が始まる。
by kurarc | 2013-09-29 20:31 | books