盲目であるとは

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ホルヘ・ルイス・ボルヘス著『砂の本』(集英社文庫)の解説は作家辻原登氏によるものだが、その内容には目を見張るものがあった。

解説には、56歳のとき、片目は全盲、もう一方は部分的な盲目となったボルヘスの言葉が引用されている。ボルヘスによれば、盲目とは暗闇や黒の世界ではなく、霧の立ちこめるような世界だという。つまり、むしろ黒い世界を体験することが「失われた」。ボルヘスとって、黒の世界が奪われたことが寂しかったというのである。

こうした盲目という状態を不幸、哀れみとしてみるのではなく、人の生活様式のひとつとしてボルヘスは考えたという。盲目になったと同時に90万冊の書物を誇るアルゼンチンの国立図書館館長に就任したボルヘスは、前任者の中にふたりの盲目の館長がいたことも、彼を多いに刺激したらしい。さらに、盲目の文学者、ホメロスミルトンジェイムズ・ジョイスらからも。

辻氏によれば、視力の喪失は聴覚を研ぎすませ、記憶力を増していくという。辻氏は、唱導文学の担い手熊野比丘尼(びくに)、噺家遊動亭円木、生田流の箏曲家葛原勾当(こうとう)、荘子の斉物論等を引用しながら、盲目であることの意味を問い直している。

盲目であるということは、目に見えるという最も初歩的な現実を体験できないがために、常に何が現実で何がそうでないか、という問いを発せられる世界ではないか、と辻氏は言う。そのことが書くことや語ることにつながる、という。

人間において、こうしたある身体的欠落に落胆することはない、ということがよくわかる。特に表現者をめざそうという人間は、盲目のように、目を閉じることに相当する経験が必要なのかもしれない。

上の像は、アルゼンチン国立図書館(Biblioteca Nacional Mariano Moreno )に置かれたボルヘスの像。

この解説で、太宰治も箏曲家葛原勾当を題材にした短編『盲人独笑』という文を書いていることを知った。青空文庫で読むことができる。

この解説で残念なのは、「盲目」に主題がおかれ、肝心の「砂」について解説していないことである。
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by kurarc | 2014-03-01 19:51 | books