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『砂の本』とiPad

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久しぶりにボルヘスの小説『砂の本』を読みながら、まるでボルヘスの小説は映画をみているような小説であることを再認識した。

『砂の本』は13話の小説からなるが、はじめの一話「他者」は、ふたりの年の異なる同一の人物ボルヘス自身の物語。一人のボルヘスが、他者のボルヘスに家の中にある書物を当ててみせるが、そのことは同一であるという何の証拠にもならない、ともう一人が答える。

「ぼくがあなたのことを夢に見ているのだとすれば、ぼくの知っていることをあなたが知っていたって当たり前でしょう・・・」

と答えるのである。

映画『ふたりのベロニカ』のベロニカも、ベロニクの夢であったという解釈も成り立つことをこの小説から想像してみた。そういえば、ベロニクがみる夢はベロニカの父の描いた絵画であった。キェシロフスキは、文学が人間の内面を描ききっていることに敬意をもっていたようで、たとえばバルガス=ジョサ『ラ・カテドラルの対話』をそうした文学の一つとして取り上げている。(『キェシロフスキの世界』河出書房新社より)

また、13話「砂の本」は、無限の本の売人の話。ページをめくれば同じページにもどることは一度もない無限の本。その本を家宝と交換した「わたし」は、来る日も来る日もその本と過ごすが、重複するものは一つも現れない。この本は悪魔ではないかと思い始めた「わたし」は、一枚の葉をかくすに最上の場所は森である、という逸話から、その本を国立図書館に隠して、やっと気が楽になる、という話。

この話を読みながら、これはまさにiPadのような本ではないかと想像した。無限に文章が提供される本、砂のような本。スティーブ・ジョブズがボルヘスの愛読者だったことは十分考えられる。

「砂」には、夢や無限といった想像力を喚起する力が埋蔵されていることをボルヘスからも教えられた。
by kurarc | 2014-03-02 20:28 | sand