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盲目論

ボルヘスの小説世界から、少しだけ盲目について考えていたが、我々が生きる現代は、視力は正常であっても果たして何かを見ているのだろうか、見えているものが真実なのだろうか、という疑問につきまとわれる世界だ、ということが日に日に増している気がする。

一つはマスメディアによる虚構の映像、言説が反乱していることによる。ドキュメンタリー映画作家が真実を映像化しようとして行き詰まることもよく耳にする。つまり、映像とは確信犯として真実を伝えようとしないことだけでなく、そもそも真実を伝えることができない矛盾をかかえた装置なのである。

マスメディアによって情報が拡張され、我々は地球上の多くの出来事を知ることができるようになったが、それは大きな誤解である、ということなのだ。それは「映像を見た」ということだけで、「知る」ことには永遠と到達できない。

そうしたことに早く気づいた作家たちは、真実を訴えることではなく、創作、創造によって真実が含意されているような作品を、作品の中に封じ込める。真実を永久凍土の中にしまい込み、その氷がいつか、誰かによって溶かされるのをじっと待つのである。

最近の論文捏造事件もしかり。分子生物学を専攻する私の友人にも訪ねてみたが、記者会見すら虚構である、という。それは、「大きな組織」の傷を少しでも軽くするためのパフォーマンスなのである。

現代の人間はすべて盲目であるに等しい、というのが私の結論である。

こうした 現実をいち早く映画で表現したものに、アントニオーニの『欲望(BLOW UP)』がある。映像は一方で虚構であるが、他方、肉眼ではとらえることのできない真実を撮影できる装置でもある。アントニオーニは映画という虚構の中で、二重の意味で(虚構-真実の入れ子構造)虚構-真実を対象に魅力的な映画を残したと言える。
by kurarc | 2014-03-16 09:42