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霧について

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ボルヘスが視力を失った世界のことを「霧の立ちこめるような世界」と表現したことが耳から離れない。視力の喪失が暗闇や暗黒といった月並みな想像を根本から覆すような認識であったからだけでなく、「霧」という言葉、現象に、同時代のメタファーとなるような創造的イメージを喚起できたからである。

「霧」と「雲」とは基本的に同義であるという。空に浮かんでいるのが雲であり、それが地上で接しているものが霧である。しかし、その言葉から想起されるイメージには大きな差異が生じる。「霧」という言葉から真っ先に思い浮かんだのは、かつて山登りを楽しんだときに体験した数々の霧である。

また、アンゲロプロス監督の映画『霧の中の風景』(上)である。この映画では雪の情景も登場するが、圧倒的に霧が映画の基調をかたちづくる。思い出すと、好きな映画には霧のシーンがいくつも登場することに今更ながら気づかされた。

「雨」や「雪」は身体の触覚を刺激し、その存在感を主張するが、「霧」は触覚を刺激するというより、むしろ視覚にまず訴え、皮膚感覚をともなうことはほとんどない。それは視覚化された「風」のような存在でもある。アンゲロプロスが『雨の中の風景』や『雪の中の風景』ではなく、「霧」という言葉を選択したのは、この言葉が20世紀を象徴する、と考えていたからではないか?

最近は地上にある霧としての「砂」と空中の砂(水粒)である「霧」が私の中で創造を刺激する言葉、存在になりつつある。

それにしても、美しい野山の霧を見に行きたくなってきた。


英語では、fog>mist>hazeの順に霧が濃いものから薄いものを区別しているようだ。「haze」といえば、ジミー・ヘンドリックスの「Purple Haze」があった。

以前から体験したいと思っていたものに、中谷芙二子による霧のアート(下、中谷宇吉郎雪の科学館より)がある。中谷は、あの中谷宇吉郎を父にもつ。
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by kurarc | 2014-03-17 21:58 | nature