盲目の少女

先日の夕暮れ時、三鷹の中央通りに平行に通る裏道を歩いていると、盲目の少女が立ち止まっていた。車が右折しようとしているが、少女はその方向にいたので、車が右折できない状況であった。こういう場合、車の運転手が車を降りて、その少女を手招きして、道を横断させればよいと思うが、降りようとしない。私が少女の肩をふれながら、道を横断させて、車は右折していった。

ボルヘスへの興味から、このブログで盲目についてたびたび書いていたときに、このような経験をするとは不思議なめぐり合わせである。街で盲目の方を見かけることはあるが、自分が手を貸すようなことはまず起きない。私がちょうど歩いて来るのを、その少女は待っていたかのように出会ったのである。

以前にも書いたと思うが、こうした目の不自由な方々にとって、都市や建築とはどのように経験されるのか、興味がある。きっと我々のような健常者には思いもつかないような空間の把握をし、音の感覚を研澄ませ、触覚的に都市や建築を感じているのだと思う。そうした経験を知ることで何か我々が大切なことに気づかされることはないか、あるいは、視覚優先の都市や建築に偏向してはいないか気づかされるのでは・・・バリアフリーという言葉が随分と浸透してきてはいるが、朝の満員電車にこうした少女が乗り込むことはまず不可能だろう。

東京オリンピックで何か変わるとは思わないが、バリアフリーを深化させた東京に少しでも変化し、近づけるような方策がほしい。
[PR]
by kurarc | 2014-04-01 20:34