玉川上水 もう一つの顔

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鎌倉から12年ぶりに生まれ故郷である三鷹に越してきたのはおよそ2年前。井の頭公園の緑もさることながら、玉川上水沿いに連なる緑と土の路(野路)がこれほど自分の記憶に深く刻まれているものとは思わなかった。

しかし、そうした郷愁は玉川上水がつくられた経緯や意味を忘れていたということを、三浦朱門著の『武蔵野ものがたり』から教えられた。玉川上水は江戸に飲料水を供給するために強引につくられた水路であり、あくまで中心からの構築物であったし、それは、武蔵野を切断した傷口のようなものととらえられるのである。

また、三浦から教えられたのは、武蔵野、あるいは多摩という土地の周辺性である。武蔵野は、将軍家や御三家の鷹狩りの場所であり、水車小屋一つ建てるのにも許可が必要な土地だったという。将軍は、馬で狩りを楽しむためには、水田があっては困るのである。

明治22年、甲武鉄道株式会社が新宿-八王子間の営業を開始するなど、東京へ鉄道が集中するように、玉川上水は、中心の力の痕跡である。年月が経ち、玉川上水沿いの緑はそうした経緯を忘れさせてくれるが、上水の起源については、常に頭の片隅にとどめておく必要があろう。
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by kurarc | 2014-06-15 21:38 | 武蔵野-Musashino