人気ブログランキング |

マンフレード・タフーリ、ヴェネツィア、ヴィチェンツァ

b0074416_20353137.jpg

岡田温司氏の著書の中にイタリアの建築史家、批評家マンフレード・タフーリが登場した。すでにタフーリは死去しているが、日本においてもその難解な著書がいくつか翻訳されている。

岡田氏も言及しているように、タフーリはローマ生まれでありながら、ヴェネツィア建築大学の建築史の教授として招聘され、活動した。これ自体、実は非常に珍しいことと思われる。なぜなら、ヴェネツィアはローマという歴史的都市に対して常に負い目を感じていたから、ローマ生まれの人間をわざわざ招聘したのは、タフーリの力量が並々ならぬものであったことの証左である。

そのヴェネツィアの建築的ボキャブラリーは、中世を基盤とする。イスラムの影響もある。その中に、タフーリがヴェネツィアに招聘されたように、ローマの建築的ボキャブラリー(ルネッサンス、マニエリズム)をつくった建築家として著名なのが、アンドレ・パッラーディオ(上写真右    サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂   パッラーディオ設計 BundestorのHPより引用)である。

大学時代の建築史の先生であった渡辺真弓先生が、彼の研究者であったこともあり、学生時代からパッラーディオには興味があった。たまたま大学生の頃、パッラーディオ生誕400年の企画展やシンポジウムもあり、そこで、タフーリ氏も来日しており、わたしはシンポジウムのとき、彼の歴史家として威厳ある姿を目撃している。

渡辺先生の著書『ルネサンスの黄昏-パラーディオ紀行』の中でも、パッラーディオのヴェネツィアでの仕事は、カリタ修道院(現美術アカデミー)以外、ヴェネツィアの都市の周縁部に位置する、と述べている。渡辺先生は、ヴェネツィアは「古典主義的な建築を受け入れることはできず、サン・マルコ広場から水平線上のパノラマを形成することしかできなかった」というタフーリの考えを引用している。しかし、それは遠景からパッラーディオの建築を眺望するというパノラマをつくりだしたことになり、ヴェネツィアの都市の中にパッラーディオの建築が、忘れがたいものとして布置されたのである。

それに対し、ヴィチェンツァという街は、世界遺産パッラーディオの街として、彼の建築を数多く残している。ヴェネツィアに支配されたという歴史があるヴィチェンツァは、その当時アカデミックであったパッラーディオの建築で対抗したのである。わたしは、ヴェネツィアはホテル代が高額であるから、このヴィチェンツァの街に宿をとりながら、ヴェネツィア他を観光したことは、以前このブログでも紹介した。

ヨーロッパの街において、建築様式の選択には、その街の主張がはっきりと込められている場合が多いのである。

*パッラーディオという表記の仕方とパラーディオという表記の仕方の2種類があるが、現在パッラーディオという表記が一般的になっているので、こちらを用いた。
by kurarc | 2014-08-19 20:22 | architects