花田清輝『復興期の精神』の「球面三角ーポー」

御嶽山噴火と登山者を巻き込んだ痛ましい事故が発生した。こうした重大な事故が起こると思い出されるのが、花田清輝著『復興期の精神』の中の「球面三角ーポー」という章である。

花田はルネッサンスを死から生への格闘ととらえていて、生の謳歌という月並みなルネッサンス論に異議をとなえているのだが、その中で比喩として登場するのが、海鞘(ほや)クラヴェリナのたとえである。花田は、海鞘の耐久性出芽といわれる現象について記述しているのである。

『ホヤの生物学』(中内光昭 東大出版会)から耐久型出芽について、(スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語というブログの引用より)引用してみると、

「ホヤは固着性であるため、環境の悪化に応じてよい場所へ逃げることができない。そのかわり、多くの群体ボヤは“退化”することによって生きながらえ、時を待つことができる。この場合、個虫の構造は崩壊し、構成物質は「栄養細胞」にとりいれられて体の一部に集積する。ボウズボヤやミナミシモフリボヤでは腹部や後腹部に集積し、Clavelina、マメボヤなどでは体外血管であるところの芽茎や被嚢血管に集積する。前者では腹部や後腹部が不規則な断片に分かれ、その一つ一つから新個虫が形成される。Clavelinaなどでも芽茎などが不規則に分断され、めいめいから一つ、またはそれ以上の個虫が生じてくる。
マメボヤは早く退化し早春3月頃には機能個体を生じるが、タイワンマメボヤはおくれて退化し、5月頃にならないと機能個体を生じない。両者とも冬期はきわめて目立たない姿をしていて、野外で見つけることは不可能である。」


つまり、クラヴェリナは人の目からみると死んだように変化するが、それは、新しい生へ飛翔する待機時間なのである。

花田は、死から(死んだような生から)生への展開こそが、あるいは、不幸こそが人を、理知を強靭にし、絶望だけが我々を論理的にする、と説く。不運や不幸から人は理性を成長させてきたと言えるのではないか。「ここ」からどのような「あそこ」へ向かうことができるのか、試されているし、ここからしか真の再生ははじまらないのである。
by kurarc | 2014-10-04 00:25 | books