映画『愛のめぐりあい』 第4話<死んだ瞬間>再考

アントニオーニの映画『愛のめぐりあい』第4話<死んだ瞬間>を相変わらず見続けている。わずか20分程度のこの第4話になぜこれほどひきつけられるのか。

以前、この第4話について、舞台となったエクサン・プロヴァンスの都市と重ね合わせながら、俳優たちの道行きについてこのブログで述べた。しかし、どうも納得がいかないシーン、不可思議なシーンがあり、再考してみたくなった。

一つは、イレーヌ・ジャコブが演じる「若い女」は、ミサに行く教会までの歩き方が不自然にみえる、という点である。それは、いつも教会へ通うようになんの迷いもなく歩いているようにみえない。教会へ向かいながら、教会までの道を改めて選んで歩いて行く、といったためらいが随所に感じられること。

2つ目は、ミサからの帰り、雨に打たれながら、道で「若い女」が転び、転んだ瞬間に笑い声をあげるシーンである。「若い女」の笑いはいったい何を意味するのか?

最後に、「若い女」が家に帰り、家の門扉に入ろうとするときに、彼女のお供をしてついてくる男(二ッコロ、今どきの言い方をすればストーカーと言えなくもない)の方を振り返るシーンである。
彼女は彼に何かを言いたかったのではないか、と思わせるが、「若い女」は無言のまま、階段を玄関まで一気に駆け上るシーン。この映画の中で最も美しいシーンである。

「若い女」は、明日修道院に入ることを最後につげる。「若い女」はそうした決意をすでに固めていて、毅然とした態度で二ッコロに接するが、実は心の中には格闘が合って、二ッコロとの出会いによって心に揺らぎが生じたことが見え隠れしているのである。

アントニオーニは、この「若い女」の心の境界(俗から聖への移り変わる前日の時間)を描きたかったのではないか、と今は解釈しているが、定かではない。この映画が興味深いのは、全く単純な男と女の道行きを撮影するということの中に、豊穣なイマジネーションを喚起させてくれるからである。そして、考えてみればこれもロードムービーなのだ、と初めて気がついた。
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by kurarc | 2014-10-06 20:21 | cinema