雑穀と白米

最近、白米に雑穀を混ぜて炊くようになった。私が購入したのは16の雑穀が含まれる。白米に対する疑いについて、先日このブログで書いた。白米の過剰な生産のために、昔ながら栽培されていた雑穀は、姿を消していった経緯がある。しかし、健康食への関心から、近年、スーパーなどに流通しはじめた。

興味深いのは、歴史で学ぶ「稲作文化」という言葉である。中尾佐助は『栽培植物と農耕の起源』の中で、純粋な稲作のみの農業形態はなかった、と指摘しているという。主穀に対して雑穀という言葉が対になっているように、それは、雑草という植物の区分けとよく似ている。何か、「雑」という言葉が付加されることで、周辺に追いやられていった経緯が想像される。

しかし、雑穀は豊富な栄養が含まれることはいうまでもない。なぜこうした優れた食物が周辺に追いやられるのだろう。この雑穀を入れて白米を炊くと、うすい赤みを帯びる。こうした色に対する嫌悪が日本人にあるとしたら、それは残念なことである。人種差別ならぬ食物差別といえるような感性であろう。

雑穀米と自作の納豆との組み合わせは格別である。それは、白米で食べるよりも、コクがある。噛み応えがある雑穀は、食べるということをあらためて再確認させてくれるような存在感が感じられるのである。

*私がもし寿司屋をやるとしたら、雑穀米を使って寿司を握るだろう。そして、多分日本でははやらないだろう。
by kurarc | 2014-10-07 21:11 | gastronomy