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カフカ『変身』 空間小説としての読解へ

アンドロイド版カフカの『変身』(作・演出 平田オリザ)を鑑賞してきた。明日、あさってと公演が続くので、詳しいことを述べるのは控えるが、カフカの『変身』が舞台で演じられるその限界のようなものが感じられたことだけ指摘しておくことにする。

わたしにとって、最も敬愛する女優イレーヌ・ジャコブさんの演技を間近で観賞できたことだけで十分思いは満たされたが、やはり、演劇の内容そのものを批判的に観賞せざるを得ない。


この演劇をみるために、2つの翻訳本を読み比べてみたが、久しぶりにこの小説を読み解きながら、従来の家族間の関係に焦点をしぼりこむような小説と理解すると不十分に思われたのである。わたしが建築を職業にしていることもあるが、この小説は一方で空間小説(住居空間、都市空間)として考察すべきであると感じられた。

この小説の舞台は住居の中で繰り広げられる。しかも、グレゴールは毒虫に「変身」してしまってから、様々な空間的行動をとることに着目しなければならない。一読したかぎりでは、グレゴールの立体的な行動を頭の中で想像することは困難をきわめる。グレゴールの部屋と隣室、さらに住居全体の連関などにも注意を要するし、グレゴールの行動だけでなく、下宿人が去って行く様の描写では、下降して行く人間の描写が丁寧になされていることも重要である。さらに、グレゴールが自分の部屋の中に配置された家具の意味についてかなりのページをさいて言及しているなど、この小説と住居内の空間的意味を無視して理解しようとすることはできない。

つまり、濃密な住居の実存と、水平垂直という立体的かつ空間的広がりのある小説を同一平面の舞台の中で演じることは、当初からかなりの制約を課してしまっているから、この小説を「家族」といったテーマとそこから派生する副題に展開させることは、この小説の広がりを矮小化してしまうことにつながりかねない。

結論を先に言えば、カフカの『変身』は、映画でしか表現できない小説だといえるのではないだろうか。あるいは逆に、カフカの映画好きはよく知られた事実であるから、彼は、映画の経験からこの小説を構想した可能性も考えられる。

蛇足になるが、岩波文庫版の翻訳者である山下肇さん、山下萬里さんのあとがきを読んでわかったのだが、山下肇さんの息子さんである建築家山下泉さんは、わたしが浪人時代に絵を習った先生のうちの一人であった。山下泉さんは、よく我々にご自身が設計された池袋の文芸座地下で催される映画のチケットをくださった。わたしと映画との出会いはその頃まで遡るのかもしれないと思い、この小説はわたしにとって縁の深い作品と言えるものであることに気づかされた。

*カフカのような著名な小説家は、カフカ産業と言われるように、市場に占拠されてしまっている。それはカフカにとって悲劇と言える。カフカは、まさに自分の小説のように「変身」を余儀なくされた小説家である。

*アンドロイドとカフカの『変身』のスーパーインポーズは、はたして適切な重ね合わせだったのだろうか?

*『変身』は、前田愛さんの著書『都市空間のなかの文学』でおこなったような読解が必要になってくるだろう。住居の中での小説ではあるが、それは、プラハという都市と密接に関わっていると考えられる。
by kurarc | 2014-10-11 21:42 | books