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アクティビティ・コンター 「等高線の思想」再考

3.11後の間もない2011年8月4日付の毎日新聞夕刊に、建築史家の鈴木博之さんは、「等高線の思想」と題する文章をよせていたことを知った。

建築家原広司さんのアクティビティ・コンター(活動等高線)という考え方を紹介しながら、都市は、現実の等高線と活動によって形づくられた等高線(活動等高線)の重なりであることに着目しなければならないと説いた。津波によって流された地域は、実は活動等高線と呼ばれる都市にとって非常に重要な地域だったのであり、こうした場所の中の蓄積された時間を無視して、単に高台に移転するのは片手落ちだというのである。

こうした考えを踏まえて、わたしの身の回りを眺めてみる。わたしの近隣では、吉祥寺という街が活動等高線が最も高度な地形を形成し、三鷹ヘ移るにしたがい、その傾斜はなだらかになるようなイメージであろうか。もちろん、都心に移動するにしたがい、活動等高線は急激に上昇して行く。

ここでわたしが言いたいのは、こうした現実的な活動等高線も大切だが、我々にとってすでに意識の中から消え去ってしまった活動等高線を問題にしなければならないということである。それは、単純にいえば、歴史であり記憶である訳だが、都市というフレームを考察するときには必ず意識すべきことだと思われる。あえてそれらを名付けるとするなら、「記憶の等高線」ということになろう。

わたしは現在、こうした目に見えなくなってしまった「記憶の等高線」の発掘を行うことに興味がある。それは、建築や都市といったことだけではない。あらゆる分野を横断的に考察することが目標になる。「記憶の等高線」は現在、アクティブなものではなく、スタティック(静的)なものであろう。それらを新たな活動等高線の中に取り入れることで再活性化できないか。現在そうしたことを漠然と考えている。

*以前このブログで、三鷹の中央線沿線(北)と甲州街道沿い(南)の違いについてふれたことがある。この場合、活動等高線はもちろん、中央線沿線になる。しかし、市の南に位置する甲州街道沿いの地域は現在、目に見えない記憶の等高線をもっていた場所ととらえられる。こうした、北と南をうまく取り上げながらあらたな活動等高線を誕生させることはできないか、といったこと・・・etc.
by kurarc | 2014-10-18 22:18 | architects