武蔵野市という地名の起源

武蔵境駅前の武蔵野プレイスにて、森安彦氏(国文学研究資料館名誉教授)の『武蔵野村の誕生と甲武鉄道』を聴講。この講座は、武蔵野市立武蔵野ぶるさと歴史館が12月14日に開館することを記念したプレイベントである。

明治維新前後から武蔵野村の誕生までと甲武鉄道開通までの郷土史を学習する。私の住む地域は江戸時代の武蔵県(武蔵国)から品川県、神奈川県と変遷し、東京市から東京都に併合されるという経過があるが、その間、明治初期から廃藩置県以後、大区小区制、三新法体制、明治地方自治制という流れの中で、多くの村が合併され、武蔵野市の前身である武蔵野村が誕生することになる。

武蔵野村という名称に決定するまでのいきさつが興味深い。武蔵野村は、当初吉祥寺村になるはずであったが、統合される前、最も大きかった吉祥寺村は、他の3村(関前村、境村、西窪村)の賛成を得ることができず、やむを得ず新しい村の名前をつけることでなんとか合意を得た。さらに、当時今の埼玉に武蔵野村という村があったが、こちらは同じく村の合併により名称が変更になった。政府は同じ村の名前を許していなかったが、埼玉の武蔵野村が消滅したために、武蔵野村の名称が成立したということである。もし、吉祥寺村という名称が成立していたならば、現在の武蔵野市は吉祥寺市になっていたのかもしれない。

こうした町村分合の時代に、国木田独歩は新しく開通した甲武鉄道(明治22年)で境駅(現在の武蔵境駅)を訪れ、玉川上水沿いの桜などを楽しみながら、『武蔵野』(明治31年)を描いたのである。

つまり、独歩は、当時の都市交通の発展のおかげで、”武蔵野”を発見し、武蔵野の片鱗の残る最後の風景、詩趣を我々に伝えてくれたことになる。そういう意味で小説『武蔵野』は、都市小説、あるいは、都市郊外小説と言える。

by kurarc | 2014-11-30 20:03 | 武蔵野-Musashino