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修士論文 公開準備へ

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修士学位論文を書き終えたのは、1991年の冬、ちょうど30歳の誕生日を迎えた頃であった。すでにそれから24年の月日が過ぎ去ったことになる。学部では論文を書かなかったので、この論文を書く作業は苦心した。論文の題目は『ブルーノ・タウトの建築思想に関する研究 日本におけるタウトの受容と評価を中心として』である。

ブルーノ・タウト(1880-1938)という建築家はドイツのケーニヒスベルク生まれ。哲学者のカントと同郷である。現在はカリーニングラードという名の都市であり、ロシア領に属する。この都市の場所をみていただくとわかるが、ドイツというよりポーランドの北部であり、バルト三国に近い。

タウトは戦前1933年に日本に来日、1936年までおよそ3年半を日本で過ごし、数多くの日本建築論や日記を著し、当時の建築家や文化人に多大な影響を与えた。また、日本に来日する以前、ベルリン他においてジードルンクと言われる集合住宅(集団団地と訳される。特に当時の社民党政権下による労働者のための集合住宅をさす。)の計画に携わり、特にブリッツのジードルンクは世界遺産に指定された。

わたしはこのベルリン、ブリッツのジードルンクを1984年に訪れ、帰国してからタウトについて調べはじめ、1989年に社会人入試で大学院に入り、この修士論文を書いた。幸運にも、この論文は1991年度の日本建築学会優秀修士論文賞を受賞した。

最近、松岡正剛さんのタウトに関する論考を読み、わたしが結論づけたタウト論とほぼ同じような論旨であることがわかり、ほっとしたのと同時に、少し古いが、何らかのかたちで公にして、タウトに興味のある方々に利用してもらいたいと思ったのである。

実は、この論文は未完の論文でもあった。論文の付録として『タウトの日記』(岩波書店)のデーターベースをLOTUS 1-2-3でつくっていたが、データを半分入力した頃、時間切れとなってしまった。『タウトの日記』は当時の日本の建築家たちの状況を赤裸々に語っており、貴重な日本近代建築史の史料といってよいもので、データベース化することで、タウトが日本のどこへ出かけ、何を見学し、どのような人(建築家)に会ったのかなどがいち早くデータとして検索できるようにしたかったのである。

データベースは今でも5インチのフロッピーディスクに眠っている。これを引き続き行えばよいのだろうが、そこまで時間の余裕はないので、まずは、論文本体を公開する準備に入ることにしようと思っている。問題はどのようなかたちで公開するのかだが、今のところ、ブログ(エキサイトブログでない別のブログ)に論文自体をコピーし、更新されないブログのような体裁を考えている。ブログには検索機能もついているものが多いので、論文自体を検索できるようにもなるだろう。論文のサマリーは英文化されているので、外国の研究者にも概略は伝わるだろう。

論文本体のデータをどのようにデジタル化するのかがまず第一の課題である。5インチのフロッピーディスクを読み取ってくれるようなPCを探さなくてはならないのかもしれない。とにかく、相当時間がかかりそうである。

*公開する場合、誤字、脱字などがあった場合は訂正するが、それ以外には手を加えずに公開する予定である。

*論文に挿入された図版をそのまま公開すると著作権にふれる場合があるので、オリジナルで作成した図表のみ、公開することになるであろう。
by kurarc | 2015-01-06 21:44 | archi-works