映画『裏窓』論争

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ヒッチコックの映画『裏窓』が日本で初めて公開されのは1955年だという。その後、1980年代前半に日本で大々的にヒッチコック映画のフェスティバルが催されたようで、その時、彼の映画ファンになった方々も多いと思う。今年で初公開から60年目を迎えたことになるが、いまだに、この映画に対する論争がおさまりをみせない。それは、「この映画の中で、殺人事件は本当に起こったののかどうか」という点についてである。

Facebookで映画好きの集まるあるグループに属しているが、その中でも意見はまちまちであった。こうした結果にヒッチコックはさぞかし悦にいっているにちがいない。それは、ヒッチコックがまさに狙った通りの結果をもたらしているからである。

しかし、エリック・ロメールとクロード・シャブロルによる『ヒッチコック』という著書が今年のはじめ翻訳され、出版されたこともあり、この論争はひとまず落ち着きを見せそうである。ヌーヴェル・ヴァーグの世代に属するこの二人の精緻なヒッチコック論によって、少なくとも、もう一人のヌーヴェル・ヴァーグ世代であるトリュフォーによるヒッチコックインタビュー集がやっと相対化され、この論争はある決着を迎えることができそうになってきた。

トリュフォーは素直にこの映画で殺人が行われたことを認めたために、それを読んだ映画ファンは、トリュフォーの説を深く考え直すことをさぼってしまっていた。ネタバレになることもあるので、詳しい解説は省略するが、『裏窓』という映画が娯楽映画を極めながら、いかに多くのテクスト性に満ちているかが60年を経過した今でも消え失せていないという点は驚くべき(恐るべき)ことである。

ヒッチコックというと、サスペンス映画、スリラー映画の巨匠という薄っぺらい紹介の仕方で片付けられてしまうことが多いし、彼の映画をみた人も、「ああ、楽しかった」で終わってしまうものが大半であるかもしれない。しかし、彼の映画はそんなに単純なものではなかった。彼の映画は、人間そのものを深く洞察し、それを娯楽映画というオブラートで包んでいただけなのである。そのオブラートを溶かし、彼の映画の本質に近づくと、再び彼の映画をみることが楽しくて仕方がなくなるのである。
by kurarc | 2015-03-20 21:48 | cinema