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「集めること」、「印を付けること」、「逃げること」、「歩くこと」

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昨日、東京外国語大学の公開講座、『ポーランド映画の傑作を読む』第1回での久山宏一先生の講義は大変興味深いものであった。取り上げられた映画はポランスキ監督の『戦場のピアニスト』。
(上:ドイツ人将校の前でショパンを演奏するシュピルマン。原題は単に「ピアニスト」だが、日本で公開されるとき、「戦場の」が付加されたそうである。)

ポーランド、ワルシャワのゲットーから逃れ、生き延びたユダヤ人ピアニスト、シュピルマンの自伝をもとに映画化された作品である。講義の中で、ユダヤ人殺害のプロセス、ゲットーが形成されるプロセスについて先生は話されたのだが、そのプロセスとは、


差別>>>印を付ける(ユダヤ人の印)>>>全国から都市のゲットーに集めること>>>
収容所へ移送>>>虐殺>>>遺体を焼却


この流れを見て、誰もが想像するに違いない。それは、我々の生活と類似しているということを。確かに、われわれは差別の対象にはなっていないかもしれない。しかし、この流れは、平和な人間の一生と大きく異なりはしないのではないか?

印が学歴や会社であり(もうすぐマイナンバーという印がつけられる)、都市はそのまま都市であり、収容所は病院であり、虐殺はされないまでも、最後は焼き払われることに変わりはない。

つまり、これは先生が話した訳ではなく、わたしが勝手に想像しただけなのだが、ゲットーの空間はわたしたちとは全く無関係ではないということである。現代の都市空間はいわば平和なゲットーとしてのメカニズムをもつ、といえるのかもしれないのである。

ポランスキはポーランドのクラクフのゲットーで幼少期を過ごし、そこから逃れ(逃げ出し)、命をつないだ。その彼が言うには、逃げるときには走ってはならないと言ったという。走ることは目立つことだから。本当に危険が迫ったとき、人間は歩かなくてはならないというのである。こうした単純な類推とは真逆のリアリズムにも驚かされる。映画の中では、この歩く表現が活かされている。ポランスキの映画が、少人数で狭い空間の中で繰り広げられる演劇性に富んだ表現が多い、という久山先生の指摘から、それは、彼のゲットーでの経験が大きいのであろう、とわたしは勝手に解釈した。

映画は、本当に奥が深いのである。


*なお、ポランスキの本名は、レイムンド・リープリング。彼は早々に名前を変えた。ユダヤ人が名前を変える場合、関係する地名を取り込むことが多いと、久山先生はおっしゃっていた。ポランスキの場合は、字の通り、国名を取り入れたことになる。

*スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』は当初、ポランスキに依頼されたが、彼は、あまりにも自身の体験に近かったため、断ったという。
by kurarc | 2015-04-18 19:29 | cinema