シェイクスピアのソネット集

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本とは自分の意志で買ったり、借りたりしているものなのだろうか?わたしはいつもなにか違うと思っている。それは、本の方から近づいてきているだけで、それをわたしが受け入れているだけなのではないかと。

だから、いくら興味をもち、読みたいと思っていても、ちっとも読んでいないものも数多いし、その反対に、相性がよいものは、気がつかないうちに読んでいたりするものである。

シェイクスピアのような戯曲ものは苦手だが、それは思わぬところから近づいてきた。ソネット集である。映画『木漏れ日の家で』の中で、主人公の老女がシェイクスピアのソネット集の一節を口ずさむシーンがある。そのことが気になって以来、それは、わたしの方に近づいてくるようになった。

この2日、熱をだし、睡眠が思うような時間にとれなかったとき、たまたま購入してあったソネット集を開いてみた。この詩、ソネット集はいろいろな意味で問題作ではあるが、悟りきった人間が語る言葉のように、自然に感じられた。昼間や夜でもなく、このソネット集は深夜に読むもの、といった体裁であり、偶然にも、よく寝付かれない深夜に紐解いたことがよかったのかもしれない。

本、特に古典のような本には魂があり、世界を浮遊、遊動していて、その魂を交換できる人をみつけると、住処とする。だから、力んで多くの本(古典)を読もうなどということは愚かなことなのだろう。向こうから訪ねて来るのを本当は待つだけなのだ。
by kurarc | 2015-06-15 23:52 | books