詩への接近

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「詩」を読んだり、接したりすることが多くなった。ペソーアやシェイクスピアのソネットなど、気がつくとよく読んでいる。しかし、日本人で、それも男性で詩を書いたり、詩を読む、という人はどれだけいるだろう。スペインのようなマッチョな文化圏では、たとえばロルカのような詩人は馬鹿にされたということもあるが、男が詩を読むなどというと女性的なイメージをもたれてしまうかもしれない。沖縄に住んでいるとき、居酒屋で「詩人」と肩書きをうった名刺をいただいたことがあるが、わたしがもらった名刺のなかで、最も印象に残っているものである。

文字を扱う芸術の中で、詩人を最高の芸術家とみなすことは日本以外の国ではごく普通のことである。最近知ったポーランドの歌手エヴァ・デマルチクのCDには、『時のざわめき』を著したオシップ・マンデリシュタームの詩に曲をつけているものが2曲収録されているが、歌の歌詞にもすぐれた詩人の詩を選択し、気を使っていることがよくわかる。

日本でも古来より、短歌や漢詩をつくることは、教養人のたしなみであったわけだが、現在はごく特殊な趣味の世界に追いやられてしまっているように思う。「詩」に接するという感覚自体、日本人とたとえばヨーロッパ人ではかなり差があるのかもしれない。わたしもとりわけ詩に興味をもってきたということはないが、中原中也や山之口貘、萩原朔太郎などの詩人を中学生の頃によく読んだ。国語の授業の中でひと月に一つの詩をつくることをやらされた。

言葉の世界を広げるためにも詩を新しい感覚で拾いあげると興味深い世界が開けてくるのかもしれない。

by kurarc | 2015-07-04 09:24 | books