国木田独歩 『忘れえぬ人々』

Kindleで無料で購入した国木田独歩の『忘れえぬ人々』を電車の中で読了。この短編を読むのは中学生以来のことかもしれない。『武蔵野』の透明感のある文体とその内容にすっかり魅了されたこともあり、国木田は現在、気になる作家の一人となった。

この短編は「忘れえぬ」ことがどのようなことなのか、が「大津」という無名の作家によって明かされる小説だが、その定義が興味深い。親とか子とか友、教師に先輩などは、「忘れてかなうまじき人」であり、「忘れえぬ人」とは異なるというのである。

それでは、「忘れえぬ人」とはどのような人か。それは、恩も義理もない赤の他人のような人でも、忘れてしまうことのできない人のことであるという。たとえば、たまたま船から見えた島かげの磯をあさっている人のことであったり、山道を空車をひきながら悲壮な馬子唄を歌いながら通り過ぎて行った青年の黒い影であるという。

つまり、自分にとってアノニマスな人から醸し出される人の生の重みのようなものが「忘れえぬ人」であり、記憶に残ると「大津」は述べている。

これは、われわれのような建築をよく見て歩く人種にも合点がいくことである。世界中の建築を彷徨い歩くわけだが、有名な建築ばかりでなく、名も知れない街の町家や民家、街路、風景に心をひきつけられることがある。国木田はそのようなことを人にたとえてこの短編で述べているのであろうか?

この小説には最後にオチがあるが、そこに国木田の特殊な感性が表現されている。このラストの表現から、国木田が『武蔵野』のような小説を描いたのがよくわかる気がした。

*国木田にとって「武蔵野」とは、「忘れえぬ」風景、詩趣、林影であったと言えるのでは?

*国木田は、「影」に着目した作家なのかもしれない。
by kurarc | 2015-08-09 15:11 | books