カフェ・オ・レ

寺田寅彦の随筆の中に『コーヒー哲学序説』というものがある。コーヒーの話かと思い、読み始めると、最初は牛乳の話からはじまる。牛乳を飲むことがまだ一般人には珍しい時代の話で、寺田は牛乳を薬の代わりに飲んだという話である。医者は当時「飲みにくい」飲み物であった牛乳を飲みやすくするために、少量のコーヒーを混ぜたのだそうだ。挽かれたコーヒー豆を煎じ薬のように木綿の袋に入れて、牛乳の中に浸したのだという。寺田は初めてコーヒーの味というものを知ったのはこうした薬としてであった。

その後、やっとコーヒーの様々な経験についての随想になる。わたしもコーヒーを飲んだのはいつの頃だったのかと思い描いてみても、はっきりしないが、最初はインスタントコーヒーであったことはまちがいないと思う。あるいは、コーヒー牛乳であったのかもしれない。それでも人と異なるのは、若くして亡くなったすぐ上の兄が吉祥寺にコーヒー専門店をやっていたこともあり、小学生の頃にはサイホンで淹れたコーヒーを飲ませてもらった。わたしの小学生の頃は、コーヒーを淹れるのはサイホン式が主流で、その後、ペーパー式に変化していったと記憶する。

カフェ・オ・レの強烈な印象といえば、初めてパリへ行った宿のことである。朝食にクロワッサンとカフェ・オ・レが運ばれてくるのだが、コーヒーの入ったポットと牛乳の入ったポットが別々に運ばれてくる。これを自分でカップに注いでカフェ・オ・レをつくる訳だが、この給仕の仕方がなんとも贅沢で忘れられない。

コーヒー店でカフェ・オ・レを注文すると、コーヒーを牛乳と混ぜた状態のカップで出されるし、それがあたり前だが、わたしはいつも最初のパリでの経験を思い出してしまう。牛乳とコーヒーを別々にしてくれないかな、と。そうすれば、自分好みのカフェ・オ・レをつくることができるからだ。牛乳を泡立てるようなことも必要はない。時には、そのポットを両手でもって、同時にカップに注ぎ、一気にカフェ・オ・レをつくることができるのに、と。

*Wikipediaによれば、「濃く淹れたコーヒーと熱い牛乳同量を、カップに同時に注いだもの。持ち手のないカップ(café au lait bol)で供されることもある。」とある。本来のカフェ・オ・レは、「同時に注ぐ」ことが習わしなのだろう。やはり、別々のポットで供されなければならない、という訳である。また、コーヒーがエスプレッソでないということである。つまり、我々が飲むのは、大半は「カフェ・ラテ」ということか。

*初めてのパリの宿で、そういえば最初、そのポットをもってきてくれたおじさんが、同時にカップに注ぐパフォーマンスをしてくれたように記憶している。
by kurarc | 2015-08-19 10:08 | gastronomy