映画『ロシュフォールの恋人たち』再び

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映画『ロシュフォールの恋人たち』をレンタルしてきてから、毎日のようにみつづけている。はじめは最初から最後までみたが、その次の日からは、好きなシーンごとにみる、というやり方でである。この映画は、なにか爽やかな風が通り過ぎていったときの感覚に似ていて、その心地よさから離れられないのである。

それは、一体なぜなのか?もちろん、ミシェル・ルグランの音楽によるところが最も大きいが、音楽以外の物語の部分に目を向けてみたい。

この映画は、ロシュフォールの広場と広場内にあるカフェが主要な舞台となった映画である。そして、そこに集い、出会うわずかな人々たちが繰り広げるわずか4日間の物語である。集う人に共通しているのは、夢をもっている、ということ。(夢がやぶれたということも含めて)一流の作曲家になりたい、理想の人に出会いたい、かつて別れた人に会いたい、一流の画家になりたい、といった様々な夢が語られる。しかし、その描き方は以外にもさっぱりとしていて、自然なのである。(ミュージカル映画である、ということが、ドロドロした感覚を払拭しているとも言える。)

作曲家を目指しているソランジュ(フランソワーズ・ドルレアック、ドヌーヴの姉)は、劇的な出会いを体験し、映画の中での描き方も大袈裟だが、その他の人々は、普通の日常の中に、ささやかな夢を語る程度に抑制されている。その中でも、非常に重要なのは、兵役中のマクサンス(ジャック・ペランが演じる)であろう。彼が音楽を中心に描かれた映画の中にあって、画家を目指したいという希望を語る。その語り方は、やはり自然で爽やかである。

姉妹(姉ソランジュ:フランソワーズ・ドルレアック、妹デルフィーヌ:カトリーヌ・ドヌーヴ)とイベント屋の2人組(エチエンヌ:ジョージ・チャキリス、ビル:グローバー・デール)のある種滑稽な描き方の中にマクサンスの純粋な思いが吹き込まれることによって、この映画は心地よい風のように変化しているのである。

この映画は、涙腺を大きく刺激されるような映画ではないが、胸の奥の方にある涙腺のようなものをくすぐられる感覚を味わう。それは、親しかった人が遠くへ帰っていってしまうときの感覚に似ている。

祝祭の準備から、祝祭、そしてその終わりまでが描かれたこの映画は、ある季節の変わり目の一瞬をとらえたような映画でもある。出会いと別れ、再会、旅立ちといった普遍的なテーマをこれほど軽快に描いた映画はあまり思い浮かばない。ラストシーンの描き方も秀逸。音楽とともに忘れられない映画となりそうである。

*ウエストサイド物語に出演していた、ジョージ・チャキリスが出演したこともこの映画を成功させている。チャキリスの爽やかさも欠かせない。
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by kurarc | 2015-09-14 22:17 | cinema