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映画『シェルブールの雨傘』ラストシーン

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映画のラストシーンは記憶に残るものが多い。特にわたしが好きなのは、『シェルブールの雨傘』のラストシーンである。この映画のDVDはもっていないが、アマゾンでみていたら、その評価の欄に興味深い意見が書き込まれていた。

ジュヌビエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が元の恋人であるギィ(ニーノ・カステルヌオーボ)の経営するガソリンスタンドに「偶然に」立ち寄る。彼女の車の中にはギィとの間に生まれた女の子が乗っている。ギィとおよそ3年ぶりに会話をかわすが、その中で、「アンジェ(またはアンジュ?)」の義理の母の家に預けた娘を迎えに行き、パリへ帰る途中だという台詞がある。

地図でこの場所を確かめてみると、アンジェ(アンジュ)とシェルブールはパリとは全く方角が異なり、帰りに立ち寄るような都市ではない、という意見が書かれていた。(この意見を書いた方は実際フランスまで行って確かめている)つまり、ジュヌビェーヴは、「偶然に」立ち寄ったのではなく、わざわざ彼のガソリンスタンドに行き、彼に会うために立ち寄った、と思われる、というのである。この「アンジェ(アンジュ)」という台詞は、現在は、「田舎の」と書き直されていて、その土地勘、距離勘が曖昧になっているという。

確かに、この「アンジェ(アンジュ)」と言うシナリオが確かならば、ジュヌビエーヴはギィに会うためにシェルブールのガソリンスタンドで働く彼に会うため、わざわざ立ち寄ったのだという見方は的を得ている。それも、雪の降る夜に。

そう考えると、ジュヌビエーヴがガソリンスタンドに車を止め、彼と久しぶりに会うときの何気なさは、そうした背景があるということを考えるとうなずける。フランス人は、この土地の位置を知っているから、こうした予想は、この映画をみたときにすぐに頭の中にひらめく、ということになる。

このラストシーンはそのようにみてみると、また新たなシーンとして見えてくる。幸い、この映画の仏和対訳シナリオが白水社から出版されているので、今度、書店で確かめてみることにしたい。それにしても、映画とは本当に奥が深い。

*インターネット上で調べてみると、オリジナルは以下のような台詞であったらしい。つまり、ここで彼女は「偶然に」立ち寄ったと話してはいるものの、やはり、その土地勘のある人からすれば偶然とは言えない、と考えるのが自然と思われる。

Geneviève :
Il fait meilleur ici. C’est la première fois que je reviens à Cherbourg depuis mon mariage. J’ai été à chercher la petite chez ma belle-mère en Anjou. J’allais rentrer à Paris. Puis j’ai fait ce détour. Je n’ai pas pensé te rencontrer. Il a fallu ce hasard.

Mécano :
Est-ce que je fais le plein pour madame ?

Guy :
Geneviève ?

Geniviève :
Oui, le plein.

Mécano :
Super ou ordinaire ?

Geneviève :
N’importe.

Mécano :
Ben, c’est comme vous voudrez. Super ?

Geniviève :
Oui.

ジ:
ここは気持ちがいいわ。結婚してからシェルブールに来るのはこれが初めてなの。アンジューにいる義理の母の家から娘を引き取りに来た帰りよ。パリに帰る途中だった。それで、こんなふうに遠回りをしたんだけど、あなたに会うつもりじゃなかったのよ。ほんとに偶然だった。

スタンド店員:
奥さん、満タンにしますか?

ギ:
ジュヌヴィエーヴ?

ジ:
ええ、満タンにして。

スタンド店員:
ハイオクにしますか? レギュラーにしますか?

ジ:
どちらでも。

スタンド店員:
はい、それじゃハイオクでよろしいですね?

ジ:
ええ。

*先日、シェルブールの雨傘の仏和対訳シナリオを書店で確認した。やはり、上のようなシナリオであり、地名が指示してあった。映画の字幕で再度確認するしかないが、もし、「田舎で」というように変更されていたとしたら、それは、かなり致命的な省略になると言えるだろう。字幕としては長いので、そのように変更されたのかもしれないが、シナリオの重要なキーワードを省略することはゆるされないと思う。

*字幕の字数制限があるため、映画の中の字幕とシナリオとは異なるものにならざるを得ない。こうしたことを常に頭の片隅にとどめておく必要がある、ということである。

by kurarc | 2015-11-11 18:53 | cinema