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映画『灰とダイヤモンド』の102分

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映画『灰とダイヤモンド』を久しぶりにポーランド映画祭2015でみる。この映画はいつみたのか思い出せないくらい前にみただけである。実はわたしは戦争や政治を生々しく描いた映画を積極的にみたいとは思わない方で、むしろ、そうした主題でありながらも、戦闘場面を直接描くのではなく、隠喩的表現(映画『エル・スール』のように)のものにひかれる。しかし、わたしの歳になって再度この映画をみて、この映画の意味を問いただしたい衝動にかられた。

この映画は、ポーランドにおけるワルシャワ蜂起から第二次大戦終結への流れを理解していなければならないが、それだけではなく、大きく1930年代の世界情勢を頭にいれてみなければならない。なぜなら、この映画で殺される人民軍(親ソ的共産主義者)シュチュカ(県労働党書記)は、スペイン市民戦争に参加したことが映画の中で語られるからである。その記憶をなつかしむように。つまり、この映画は少なくともスペイン市民戦争からワルシャワ蜂起(その後の第二次大戦終結)へといたる歴史の流れを踏まえてみることが求められているのである。こうしたことは、若いときに全く気がつかなかった。

もう一つ、この映画は基本的には政治的な映画であるが、ワイダはそうした主題だけでなく、やはりよく人間を描いているということ。ポーランドでは第二次大戦が終わったことは、戦い(闘い)の終わりではなかった。新たなソ連支配のもとで、以後40年以上も闘い続けることになる、そのことをこの映画はよく表現している。戦争が終わったことの喜びではなく、終わりながらはじまる新しい恐怖、不安、狂信のような心情がよく描かれている。

映画を歳を重ねながらみることの意味を改めて問い返すことができた。それは、ワイダ監督の映画が優れた映画であることの証左である。こうした映画をみていつも思うことであるが、わずか102分の映画である。102分という時間で意識は変わる、ということである。
by kurarc | 2015-11-15 15:02 | cinema