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都市と郊外 映画『満月の夜』再び

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エリック・ロメール監督の映画『満月の夜』を久しぶりに見直した。以前、このブログで、主演のパスカル・オジェがこの映画で美術監督のような立場を務めた彼女の才能についてふれた。

この映画では、もう一つ、主題と言える「都市と郊外」についてふれずにはいられない。この映画で、都市とはパリであり、郊外とはパリの東およそ10キロに位置するニュー・タウン、マルヌ=ラ=ヴァレである。この映画では、二つの空間、場所に異性の恋人(あるいは異性の友人)をもち、そのことによって悲劇、カタストロフィをむかえる女性(パスカル・オジェ)の心理が見事に表現されている。

この映画の副題は、ロメールの捏造したことわざ「二人の女を持つものは心をなくし、二つの家を持つ者は分別をなくす」である。普遍的な言葉で言えば、この映画は「空間と心理」の映画と言えるのかもしれない。自由がほしい、とパリに自分の空間(仕事場を兼用)をもったルイーズ(パスカル・オジェ)は、そのことによって、郊外にいる恋人レミへの思慕が強くなるが、時すでに遅しで、レミは別の恋人をつくってしまう。

物語としては極めて単純なのだが、ロメールはこの映画で、都市か郊外かの二者択一を迫ろうとしているのではもちろんない。ここでは、わずか10キロという空間がもたらす悲劇について表現したかったのであろう。また、都市と郊外の空間の差異についても巧みに表現されている。ロメールは言う。

「パリの人は・・・孤立しますが、それでも外の世界がすぐにそこに、手の届く範囲にあることを知っています。マルヌ=ラ=ヴァレでの逆説は、外に開かれているのに、その外では何も起こらない・・・」(DVD解説より)

しかし、ロメールはここで、マルヌ=ラ=ヴァレを批判していたり、落胆しているという訳ではなく、この郊外の空間の時間の欠如を映画に利用しているのである。ロメールが最も嫌悪する空間(建築)は、古びてしまう偽モダニズムであるとのこと。

ロメールは時間の異なる都市(建築)を舞台や背景として選択し、その背景の中に女性の心理を重ね合わせた訳である。二つの都市(空間、建築)は、この映画にいわばテンションを与えているということになろうか。特に、郊外のニュー・タウンは、ルイーズの寂寞とした感情を表現する空間として。

以前のブログでもふれたが、この映画を最期にパスカル・オジェは亡くなってしまう。1984年10月25日、26歳の誕生日の前日のことであったという。わたしは、そのおよそ1ヶ月後の1984年11月20日、スペインのバルセロナに向かう列車に乗るためにブダペストからパリに着いた。11月21日にバルセロナに向かうことになるが、たった一日をトランジットのように過ごしたパリの風景は、未だに心に焼き付いている。その頃、パスカル・オジェは、パリのペール・ラシューズ墓地に埋葬されていたはずである。
by kurarc | 2016-02-20 23:38 | cinema