「クレオール」から すべてをとらえ直すこと

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いつも利用している武蔵野市吉祥寺図書館から『クレオール事始』(西成彦著、紀伊国屋書店)を借りてくる。アマゾンなどでふとしたことからこの本に出会い、気になったからである。(アマゾンも馬鹿にできない)「クレオール」というと、今福龍太氏の『クレオール主義』(ちくま学芸文庫)を思い出すが、この文庫の解説を担当していたのが西氏であったことに、帰宅してから気がついた。

借りてきた『クレオール事始』の著書の中に、フランス語圏を中心としたクレオール文法のコラム記事(フレンチ・クレオール初級文法)があり、興味深い。フランス語などのロマンス諸語を学ぶとき、ハードルとなるのは、まずは、発音と動詞の活用であろう。しかし、フランス語圏のクレオール語は、そのハードルを、「動詞の無変化」、さらに、「発音しない音の無表記」、「r音の脱落」といった使用法(発話 パロール)によって、難なくすりぬけてしまうのである。西氏は、フランス語の学習を、まずは、クレオール語から学び始めることが効果的ではないか、という興味深い方法を教示している。

コロンブス以後の世界を考えるときのキーワードの一つになるのが、この「クレオール」であることは確かであろう。それだけではない、日本人である我々がすっかり忘れてしまっている日本の遠い起源のようなことを考えるときにも、この視点は役に立つだろう。わたしが、このような本から最も刺激を受けるのは、既成の視点によって凝り固まってしまった頭の中をかき乱し、全く新らたな視点を獲得できるからである。

この著書の中で、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)について言及されていることも、興味深い。フランス語が達者だった八雲は、日本に帰属する前にマルティニックにおいて民話採集のフィールドワークを行い、クレオール言語に耳を傾け、言語の感覚を研ぎすましていたのである。そうした経験から、八雲は「耳なし芳一」といった文字非所有者、口承の伝統のようなものに対する臭覚を身につけ、日本において再話文学として結実させたのであった。

ハーンの広大な旅についても、わたしは無知であった。人口に膾炙された事実のようなものをすべて疑い、あらゆる分野においてすべてをとらえ直すことがわたしの脳に必要な時期にきているように思う。西氏の著作は、現在のわたしの欲求にもっとも的確に答えてくれると思われる秀逸な著書である。
by kurarc | 2016-03-06 14:21 | books