地元を知ることの楽しみと驚き

昨年から活動し始めた「たてもの・まちなみ・景観を考える市民の会」の第3回目の会議が今日行われた。地元に残る建築的遺産を発掘する試みを主に行っているが、その中で、以外にも様々な広がりのある話題が出て来ることに驚くのである。今日は、戦前の同潤会が1920年代後半から木造分譲住宅を東京女子大近くに建設したことを知る。そして、多くが、まだその原形を感じられる程度に残っているというのである。(わたしが某大学で助手をしているたとき、生徒に青山同潤会アパートの跡地を想定して、設計課題を与えたが、その時、生徒に配布したマルク・プルディエ著『同潤会アパート原景 日本建築史における役割』の第3章、pp.198から、この木造分譲住宅の記述がある。)

3月30日に行ったICUのキャンパスの見学会からは、建築だけでなく、旧中島飛行機三鷹工場の歴史が浮かび上がり、その時代との見え隠れが問題となるなど、今まで見えなかった地元の歴史が建築を考える中で浮かび上がり、逆照射されることになった。(こうしたことが、日常の中のシュルレアリスム的体験である。)

武蔵野、三鷹地区は多くの軍需工場があったこと、そして、そこに働く多くの労働者の住まいも必要になることから、軍需産業に従事する労働者の住宅もあった。そうしたことは、今まで考えたこともなかったが、それは吉祥寺のようなファションを中心にした都市が活性化するなかで、地元民の意識から遠ざかっていったということなのだと思う。

ICUの創立に関するアメリカ側とのやり取りも興味深い。それも、旧中島飛行機時代の建築を継続して使い続けながら、ICUという大学は発足されたのである。その痕跡がいまだに経験できることもある意味で奇跡的なことなのかもしれない。

地元の中に、自分の足下に、数多くの重要な問題群が発見できることを、今更ながら驚いている。
by kurarc | 2016-04-24 22:15 | 三鷹-Mitaka