アントニオーニの映画を何度もみる楽しみ

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小説やおとぎ話、童話など何度読んでも新しい発見があるものがある。映画も同じで、注意していつもみたはずなのだが、みる度に、何か新しい発見があらわれるものがある。そういう映画は、わたしにとってかけがえのない映画であり、好きな映画でもある。

久しぶりに、アントニオーニの映画『愛のめぐりあい』の第1話をみて、あらたな風景を体験したような感覚を覚えた。この第4話からなるオムニバス映画のよいところは、一話が短時間で完結するために、繰り返しみることが容易だということである。四話すべてを続けてみる必要性もない。気が向いた話を気が向いたときにみればよいのである。

第1話はイタリアのフェラーラを舞台としている。霧にかすむ街のなかの情景から、無限に続くようなポルティコが登場し、二人の男女が言葉をかわす。このシーンは、この街で暮らし、特殊な体験(デジャ・ヴュ(既視感)とジャメ・ヴュ(未視観))をする画家キリコの絵画を思わせる。二人の男女は出会い、別れ、二年後に再会するも、結ばれることはない。しかし、男はそのことによって一生、この女を愛することになるという物語。

映画の中で、女は言う。「たとえ手紙でも言葉はいいわ。女は言葉を欲しがるの。どんな時も。」

男は、女の心を射止めるような言葉をかわさず、(この映画では、意識してそうしたのだろう)別れてしまう。男と女、フェラーラの街、建築(パラッツォ・ディアマンティ(上写真)とそれに面するパラッツォ)、そして美しい音楽がかすかに耳に響いてくる。それだけの映画だが、なぜ、何度みてもあきないのだろう?アントニオーニの映画の力がそこにある。
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by kurarc | 2016-04-28 21:56 | cinema