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大学時代の講義から

わたしの母校(大学)は、大学の偏差値といったものでは、あまり高くなく、いわゆる優秀な学生があつまるような場所ではなかったが、当時、その大学では革新的な教師たちが、ラディカルな授業を行っていた。多木浩二先生の授業はその最たるものだが、いまでは顧みられなくなってしまった多木先生の講義内容をもう一度、学習しなおしたいと思うようになった。

レーモン・クノーの『文体練習』には、訳者である松島征氏の『紙の上のパロディー群-レーモン・クノー『文体練習』を読む』が所収されていて、この文章が1977年に発表されていることを知ると、ちょうど多木先生がこのような研究成果と同時代性をもつ講義を行っていた時とも重なることがわかる。わたしは随分と時間がかかったが、多木先生の講義の内容の意義(もちろん、学生当時も感じていたが)をやっと卒業して30年もたってから、自らの力で知り、発見できるようになった。

その下地は、やはりフランス人による知的探求の力(ロラン・バルトなど)によることが大きい。20世紀は、彼らの時代であったのである。そこにもう一度立ち返り、それらを軽々と学び直して、今後の羅針盤とすることにしなければと思う。

クノーの『文体練習』という本は、とるに足りない内容の文章を99の文体に変換したいわばパロディーとも言える試みであるが、その中にはアレクサンドラン(以前、映画『ロシュフォールの恋人たち』について書いた文章でふれた)といったヨーロッパの詩の伝統的形式を使う試みもあり、言語の形式についての挑戦といえる内容となっている。(訳者はこの翻訳を七五調で訳している)こうしたパロディとみえるような本も実は最も革新的な認識にもとづいて行われている訳で、クノーのような柔らかい知性の持ち主でしかできなかった試みなのだ。多木先生の講義は難解を極めたが、クノーのような事例を紹介してくれたら、我々の理解はもう少し深まったのではないかと予想されるが、それは甘えだと先生から激怒されたかもしれない。

フランス人の知的探求に興味をもち、ここに帰ってきたのは、わたしにとっては根のあることだったのである。
by kurarc | 2016-06-29 09:38 | books