3.11以後のヒッチコック『鳥』

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ヒッチコックの映画『鳥』を久しぶりに鑑賞。ポーランドの映画監督ヤキモフスキが影響を受けた映画だと聞いたこともあるが、長い間みていなかったこともあり、再見したくなったのである。

この映画を最初にみたのはいつのころだったのか思い出せないが、初めは鳥に対する恐怖だけが印象に焼き付いた。大袈裟だが、3.11以後の日本の状況を思い出しながらこの映画をみると、この鳥が「得体の知れないもの」、それは「鳥」の恐怖だけではない「なにか」にみえてくるから不思議である。

ヤキモフスキも言っていたが、この不気味な「鳥」は、弁護士であるミッチの新しい恋人メラニーに対する母親と彼の元恋人の嫉妬を表現すると言う解釈ももちろん成立する。映画の中でも、台詞の中にそうした背景が元恋人の口から語られる場面があるから、この解釈は誰にも納得がいく。

しかし、現在、3.11以後の日本人がこの映画をみたとき、それは嫉妬だけを表現しているとは決して想像しないだろう。鳥が人間を襲い始め、殺人まで犯すようになっても、そのことをはじめは誰も信用しようとしない。さらに、映画の中で鳥の生態に詳しい老婦人が登場し、「鳥は人間を襲うようなことはしない」と断言するのである。これは、原発は絶対に安全だといってきた科学者のようではないか。街の人々は、メラニーが来てからこのような事件が起こるようになったと、彼女を魔女のようにまくしたてる。鳥に襲われた都市は、孤立し、あるものは取り残され、あるものはその都市から脱出を試みる。都市(海辺の平和な小都市)はカタストロフィーをむかえることになる。

ヒッチコックの描いた『鳥』は、嫉妬の隠喩だけではなく、彼の表現の射程は、多様な人間の心(感情)の根源といえる問題に向かっていたのではないかと思う。この映画は、現在の日本で再びみることが求められる映画といっていい。
by kurarc | 2016-07-02 22:34 | cinema