レオナルドからアンドロイドへ

昨日、九段のイタリア文化会館にて、イタリア人美術史家、コンスタンティーノ・ドラッツィオ氏によるレオナルド・ダ・ヴィンチに関する講演を聴講した。わたしはレオナルドに、イタリア人らしからぬイメージをずっといだき続けていたが、そのイメージはどうも幻想であったようだ。レオナルドは人が考えつかぬような絵画の構図ほか、人を驚かすことを常に意識していた人物であった、という。彼の手稿や手記などから想像される、冷静沈着な文章とは真逆の人間だったようだ。若い頃から長髪のヘアスタイルであり、その巻き毛の手入れには気を使っていたのだという。

レオナルドは、常に意識から離れることのない歴史的人物であった。最初のヨーロッパの旅では、フィレンツェにおいて、レオナルドの膨大な馬のデッサンをみて、天才の業績をはじめて意識した。しかし、ドラッツィオ氏によれば、レオナルドは決して恵まれた天才とは言えなかったという。メディチ家には冷遇され、ミラノ公国へは音楽家として雇われ、彼の得意とする絵画の仕事に恵まれるのは、その10年後のことであったという。レオナルドが認められるのは40歳後半になってからのことであり、それまで、クライアント(パトロン)には契約を破棄されることが多く、未完成の作品を数多く残すことになったのである。

レオナルドの多くの発明品の中でも、現代のロボットに近い玩具をつくったことはよく知られている。花田清輝はその玩具を数多く発明したレオナルドについて、それらは心の危機から生み出された、という独創的な発想を『復興期の精神』で繰り広げているが、そのことに深くふれずに、ここでは、レオナルドを現代のアンドロイドへと連続する先駆者としてとらえてみたい。

われわれが初めて体験するようなアンドロイド、あるいはロボットという機械(玩具)も、少なくとも500年以上の時間の賜物だということである。そうしたパースペクティブを花田の言うレオナルドから、デカルト、ド・ラ・メトリー『人間機械論』、リラダン『未来のイヴ』、チャペック『ロボット』と、それに加えて、ウィーナー『サイバネティクス』、『人間機械論』などの流れの中で一度考えてみるとおもしろそうである。
by kurarc | 2016-07-28 23:02 | books