100分de名著 サルトル 実存主義とはなにか

このところ、フランス文化を学んでいる。20世紀のフランスといえば、やはり、サルトルは外せないだろう。サルトルの著作をまじめに読んだことはないが、まずは、実存主義についての理解のため、NHKのテレビテキスト、『100分de名著 サルトル 実存主義とはなにか』(海老坂武著)を読んだ。

この小著は、タイトルの通り、実存主義についての概要を把握するのに役に立ったが、それ以上に興味をひいたのは、サルトルの生涯である。わたしがイメージしていた哲学者の生き方とは異なり、やはり普通ではなかった。

斜視という身体的な欠陥があったにもかかわらず、サルトルの生涯はそうした負の側面が全く感じられない。むしろ、負の側面を、どのように反転させるかを考え続けている。ボーヴォワールとの契約結婚では、お互いの自由を貫いている。お互い愛人をつくりながらも、サルトルは激しい嫉妬はしていない、という。ボーヴォワールに関しても、わたしのイメージは覆された。彼女はバイセクシャルであったのだという。

こうした生々しい人間関係の中においても、サルトルは哲学すること、小説という創作を怠ることはなかった。なにかを所有することを嫌い、稼いだお金は使い果たし、晩年にはお金に苦労し、出版社に前借りまでしていたらしい。

哲学者とは、机の上で頭を抱え込んで思索するような人間ではなく、人間という実存についての可能性を突き詰め、行動していく人間のことを哲学者というのだろう。フランス語の感覚が少し身に付いてきたこともあるが、サルトルのキーワード、アンガジュマンといった用語もすんなりと理解できるようになった。

今、サルトルから何を学ぶのか。まずは、サルトルの言う、「人間は自由の刑に処せられている」という考えを考え抜いた先達の思索を一つ一つ噛みしめてみることであろう。

by kurarc | 2016-08-21 00:27