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映画『ダゲレオタイプの女』をみる

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黒沢清監督の映画はあまりみていないが、この映画は、なかなかよかった。なにがよかったのかというと、男の感情がよく表現されていたことである。映画は概して「女優」のものでありがちだが、この映画は、女優(ここでは、コンスタンス・ルソー)もさることながら、男優である男のたちの演技が光っていた。

付け加えるならば、この映画は男の悲しみがよく描かれていた。恋をした女性や最愛の女性、一緒に暮らした女性と死別したり、死別しないまでも別れてしまったとき、男はどのような感情になるのか、男が最も弱音を吐くときは、そのような時であろうが、そこを黒沢監督は巧みに描いているのである。

ダゲールがニエプスと共同研究し、ニエプスの死後、1837年に銅版写真術を完成させ、これをダゲレオタイプ(仏語では、ダゲレオティプと発音されるのだろう)と名付けられた。(ダゲールは、以前からカメラ・オブスクーラの像を定着させたいと思っていたーヴァルター・ベンヤミン著『図説 写真小史』より)ダゲールが望んだこの像の永続化、永遠化が、この映画では幻(幽霊)やカタストロフィーと連続していることが興味深い。

目の前にみえているものは、現実なのか、あるいは幻なのか?そのような疑問は、ありふれた日常を過ごしているときには頭の中に思い描くことはない。しかし、一端なにがしかのカタストロフィーをむかえた途端に、目の前にみえていたものが、幻のように思える瞬間がある。日本人は、この5年の間、そうした経験を何度も味わってしまった。

この映画は、前半よりも後半に、より緊張感が感じられた。映画でしか表現できないことを黒沢監督はよく描ききっていた。そして、ラストは悲しかった。

by kurarc | 2016-10-16 20:29 | cinema