環境負荷と使い捨て文化

食べた後のお皿の洗い物をしているとき、ふと思うことがある。たいして汚れてもいない皿やコップにたっぷり洗剤をつけて、きれいに洗う必要があるのだろうかと。

洗剤を付けて洗うことは、陶器の皿を使うことによって無意識に行われる習慣のようなものである。洗剤は昔のものより改良され、アワ切れも早いが、洗剤と大量の水が下水を伝わり、最終的には浄化されるにしても、海にまでつながっていく。

これを、たとえば使い捨ての紙の皿にするとどうなるか。汚れた皿をある程度水ですすぎ、ゴミ箱に捨てる。皿は燃えるゴミとして燃やされ、処理される。こうすれば、水の消費はかなり減少し、下水への洗剤の垂れ流しもなくなる。しかし、こうした習慣は、アメリカ人の大量消費文化と重ねられ、否定されるべき習慣として教育された。

現在、健全な消費はむしろ自然のサイクルに欠かせない認識がひろまっている。少し前、割り箸を使うことを悪のように決めつけ、「マイ箸」をもつことを得意げにしている人たちがいた。(現在でもまだ存在する)その後、割り箸は間伐材の消費を促し、自然の循環に貢献するという主張も現れ、割り箸問題は、話題にのぼらなくなった。

皿を洗剤で洗うことと、使い捨ての皿を使うことのどちらが環境にやさしいのか、単純な日常の習慣を徹底的に議論し、比較してみるとおもしろいだろう。日本人は、どのような結論になるとしても、陶器の皿を使いたがるに違いない。皿という「もの」が文化として根付いているし、食器は単に料理をのせるものだけでなく、料理と一体となり、存在しているものであるから、陶器の皿をもたないような生活をはじめることは、いくら環境に負荷がかかるからといって止めるわけにはいかないだろう。

少なくとも今すぐにできることは、洗剤のいらないスポンジで洗えるものは、これをなるべく使用して、下水に少しでも負荷のかからない習慣を身につけることくらいだろうか・・・





by kurarc | 2016-10-19 21:22