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武蔵野と朝鮮

図書館から『柳田国男と武蔵野』という書物を借りてきた。立川柳田国男を読む会編によるものである。柳田は、武蔵野に興味をもっていたようで、特にそのどのような領域に興味をもっていたのか知りたかった。

柳田の時代には、武蔵野は、立川から北西の川越あたりまでを「本式の武蔵野」と意識していたようだ。国木田独歩の『武蔵野』の中にも、そのような記述があるから、共通した意識をもっていたということになる。わたしの現在住んでいる三鷹周辺は、柳田、国木田の頃には、すでに武蔵野の面影は痕跡程度にしか感じられなかったのだろう。

借りてきたこの書物の最初の章、「武蔵野概説」の中に、武蔵野という地名の由来について金達寿氏の説を紹介している。これには諸説あってどれが本当なのかわからないようだが、朝鮮語のムネサシ(宗城・主城)説-朝鮮帰化(帰化は柳田の言葉。渡来というべきか)族の中心を示す宗城・主城の意など、朝鮮と深い関わりがあったことは確かなようだ。

新座や志木、高麗といった渡来系の地名は、以前からもちろん知っていたが、わたしは武蔵野と朝鮮との関わりについて深く意識したことはなかった。

武蔵野のかすかな片鱗を訪ねて、西東京から川越あたりまでの一帯を、今度じっくりと散策してみる必要性があること、そして、武蔵野を知るには、朝鮮文化との連関についても考察しなければならないということである。

*柳田が『武蔵野の昔』を著したのは、大正7年頃。当時、国木田の影響もあり、武蔵野趣味が横行していたらしい。柳田はそれを、あまり好ましいものとは思っていなかった。柳田が『武蔵野の昔』を著したのは、武蔵野趣味から武蔵野研究を志すためであった。



by kurarc | 2016-11-09 20:51 | 武蔵野-Musashino