マイルズ・ディヴィスと小林一茶

年末、わたしの手元にあるのは、マイルズ・ディヴィスの映画パンフレットと小林一茶の『父の終焉日記、おらが春 他一編』(岩波文庫)である。

マイルズの方は、今日時間ができて、映画をみることができた。(日本名タイトル 『マイルス・ディヴィス 空白の5年間』)マイルズが1970年代の後半、演奏活動から退いたおよそ6年間をフィクション仕立てにして描いた映画。彼の再生までの道のりが描かれている。

一方、小林一茶は、50代になってからもうけた娘さとを亡くし、その誕生と死、そして再生を含む日記体句文集が『おらが春』である。

露の世は露の世ながらさりながら

という句に出会って、急に一茶のことが知りたくなり、古本を購入した。「さりながら」とは「しかしながら」の意。これは、現在では、「去りながら」のようにも響き、年が明けようとしている今の時間をも表現しているかのようである。フランスの作家、フィリップ・フォレストはこの「さりながら」という言葉をそのまま小説のタイトルにしてしまった。こちらの小説も気になり、注文したところである。

昨今、日本全体に言えるテーマの一つは、「再生」ではないか。これはすべての人の中に何か引っかかる言葉であろう。病に倒れた人は、その病を克服すべく、再生を夢見るであろうし、3.11を経たフクシマは、気の遠くなるような時間の先に再生を誓っているだろう。

それぞれの再生に向けて、一年が始まろうとしている。一茶のように、多くの苦難に打ち克つこと、その先にあるものこそが人の幸せというものであろう。

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by kurarc | 2016-12-31 21:10 | books