使うものだけしか持たないこと

引越しを一ヶ月後にひかえて、ものの整理をしている。最近、持っているもので壊れるものが多いので、これらは捨てるのに都合が良い。いつの時でも、引越し前になると、なぜ、使ってもいないものをずっと持っていたのか、腹立たしくなる。

たとえば、食器類。普段使う皿やコーヒカップなどは限られているのに、戸棚の中にはいくつもの余分な皿やカップが置いてある。こうしたものは、この際、すべて処分することに決めた。少なくとも一週間に一度も使わないようなものは、すべて処分の対象とすることにした。一度そのように考えると、処分するときにも躊躇がない。想い出の品と思っていたものも、使わないと思ったものは迷いなく処分してしまう。

しかし、困ったのは、以前にもこのブログで書いたが、母の遺品である。特に、日記や俳句を書きつらねた大量のノート類。母親は筆まめだったせいで、残されたノート類の量は半端ではない。わたしは母が結婚する前にお花やお料理の習い事をしていたときのノートまで持っている。ことばには魂のようなものの痕跡を感じるせいか、どうも潔く捨てられない。今回は、これらをどうするのか、結論を出さなくてはならない。

使うものだけをもつこと、これは以外と難しい。そして、もう一つの難問は、書籍であろう。膨大な量の書籍はいつも手に取って読んでいる訳ではないが、資料価値というものもあり、手元に置かざるを得ないものも多い。現在は段ボールで100箱ほどだが、これをできれば50程度にしたい。半分をpdf化してしまえば本当はよいのだろうが、そこまで経費をかけるのも気が進まない。

何を持ち、何を捨て処分するのかは、生きている限り、考えつづけることになるのだろう。



by kurarc | 2017-01-04 20:49