カフェの現在

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一日にコーヒーを何杯も飲むようになったのはいつごろからだろう。最近、出先で飲むものはそのほとんどがコーヒーである。わたしはコーヒーを飲みたくて飲んでいるのか、それとも飲まされているのか?

コーヒーは好きだから、「飲まされて」いたとしてもそんなには気にならないが、都市においてカフェ文化が浸透するにつれて、少しばかりコーヒーにあきてきたことも事実である。

わたしはある記憶を鮮明に持っている。20歳の頃、代官山のヒルサイドテラスにあったアルバイト先の建築事務所で働いていた時のことである。その事務所にはすでに小さいコーヒーメーカーが打ち合わせスペースに置いてあり、そこにある著名な建築家が訪ねてきた。わたしはその建築家にコーヒーを出そうとすると、「お茶がいいな」と言ったのである。

その建築家の心情は、多分以下のようだったはずである。

「建築事務所に来ると、いつもコーヒーばかりだされるな。たまには日本茶くらいいれたらどうだ。」

つまり、35年以上も前からコーヒーは「お茶」として浸透し、蔓延していた。すでに、飲むのではなく飲まされる状況にあったとその建築家の言葉を聞いて思ったのである。

カフェはヨーロッパでは文化の発祥のスペースであった。わたしがリスボンに滞在中、よく通ったカフェ・ブラジレイラ(上写真、pinterestより引用)は、ペソアというモダニズム期の詩人が仕事場としたカフェであり、ポルトガルのアヴァンギャルドたちのたまり場でもあった。カフェとは文化そのものだった。

そんな理想論を言ってもはじまらないかもしれない。現在のカフェの大半は、自習の場であったり、スマホをみる場、雑談をかわす場といったところが関の山であろう。様々なタイプのカフェが増えていることは興味深いが、そこから何か新しい文化が生まれてくるような空間になっているのかは疑問である。たとえば、東京のカフェというものを徹底的に調べて、論文が書けるだろうか?

カフェは今後どこへ向かうのだろう?

by kurarc | 2017-01-29 18:18 | gastronomy(食・食文化)