鳥との出会い

最近、神秘的な体験をした。井の頭公園を歩いていると、鳥がわたしに語りかけてきたのである。わたしが勝手に語りかけてきた、と勘違いしただけかもしれない。その日から、わたしは野鳥の観察をはじめた。

記憶の中にある鳥との出会いで、最も幼少期のものは、自宅に迷い込んできた手乗り文鳥である。わたしは、その鳥を手乗り文鳥であることから「TENO」と名付けて、溺愛した。自宅にはわたしが生まれる前から、「タマ」というネコがいて、そのネコも溺愛したが、「TENO」はそれ以上であったと思う。確か小学校1、2年生のときであったが、その文鳥とコミュニケーションができているかのようであった。そのくらい、わたしの言うことをよく聞く文鳥であった。

ある日、鳥かごの中に「TENO」がいないことに気づいた。2階に鳥かごは置いていたが、鳥かごを置いていた窓際には1階の屋根があり、その上に野良猫がいて、わたしの方をにらんだ。窓を開けっ放してでかけてしまったのがまずかった。しかし、死骸のようなものはなく、「TENO」は消えてしまったのである。その野良猫に食われてしまったのか、あるいは、鳥かごから出て、どこかへ飛び去って逃げたのかわからない。その時の悲しみは今でも忘れられない。

最近、鳥を意識したのは、実は映画の中でのことである。わたしの好きなアントニオーニやロメールの映画を観ていると、映画音の中に鳥の鳴き声が聴こえてくるのである。自然の中で撮影しているからだろう、鳥の鳴き声が映画の撮影と同時に録音されているのである。登山を楽しんでいたときには、よくライチョウに遭遇した。鎌倉に住んでいるときには、コノハズクの鳴き声を楽しんだ。ブログにアオバトの飛来について取り上げたこともある。しかし、継続して観察するような習慣はなかった。考えてみれば不思議なことである。それは、本当は鳥のことが好きなのに、自分で好き、ということに気づいていなかったのである。
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幸い、小学校時代の幼なじみに野鳥好きが2人いて、先日、井の頭公園を一緒に散策した。野鳥の楽しみは、ネコのようなペットとは異なり、遠くから自然の姿を観察する楽しみである。決して近づくことはできないし、手に取って可愛がることもできないが、自然に生きる動物に敬意をもって接することの学習となる。わたしは手にとろうとしても絶対に手にとることが許されない「野鳥という自然」に最も興味があるのかもしれない。

*写真は、井の頭公園にて撮影(ハシビロガモ 2017年2月末日)
*ブログのバグは、HTML編集を操作することで、調整できることがわかった。どうも文章を編集している間、勝手にHTMLを編集してしまうようなバグがこのブログにはあるようだ。

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by kurarc | 2017-03-07 22:42 | nature

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