こぼれ落ちたニースの地図

ちょうど一ヶ月前に、ジャック・ドゥミの映画『天使の入江』について書いてから2、3日した日だったと思う。未だ片付かない事務所の本の瓦礫を整理していた時のことである。瓦礫の中から33年前にニースに行ったときインフォメーションでもらった地図が事務所の床に落ちていた。33年前に行った旅行の時にもらった地図類は何冊かのファイルに閉じてあり、まだそのファイルが入っているダンボールは開封していなかったのだが、なぜかニースの地図だけが落ちていたのである。

わたしは、またかと思った。最近、こうした偶然とも必然とも言えないような体験をよくするのである。ニースを舞台にした映画を見ていたら、目の前にニースの地図が「偶然」に落ちていたということになる。その地図には、「15.10.84 S.K.」とメモしてあった。1984年の10月15日にインフォメーションでもらったものであった。

ポーランド映画をみていて、「タデウシュ」という人名が出てきた時も、ポルトガル語の発音に似ているな、と感じていたが、実は、アントニオ・タブッキの『レクイエム』というリスボンを舞台にした小説の中でにも「タデウシュ」が登場していて、これをタブッキは、「アデウシュ」という永続的な別れを意味するポルトガル語と関連付けていたことを最近知った。

ポルトガルからポーランドへの興味も必然的だったのでは、という気がしないでもない。わたしの好きなポーランド人の女性歌手アナ・マリア・ヨペクがリスボンをテーマとした音楽を作り、『イマジン』というポーランド映画がリスボンという都市を舞台としていて、こうした映画と出会うことも偶然とは思えない。

すべての出会いは必然的なのだが、その必然性を人は鈍感にも感じないか、無視してしまうことで、偶然と感じてしまうのだと思う。わたしがどこを歩き、どこに行き、誰に会うのか、好きなものから好きなものへの出会いの連続はすべてわたしの中の必然性の帰結なのだと思う。



b0074416_23283217.jpg




by kurarc | 2017-03-24 17:37