フェイスブックこの頃

フェイスブックでの「友達」の数は200近くに達した。「友達」はすべて積極的にフェイスブックを利用しているわけではないが、日々更新される内容をすべて把握することは困難になってきた。また、いつこのフェイスブックをPC上でみるのかによって、みた時に情報を提供してくれた「友達」でない限り、その他の「友達」が何を取り上げていたのか気づくことはない。遡れば情報を探索できるが、それほどの時間的余裕はない。通常、フェイスブックの情報は、車窓から眺める風景のように通り過ぎていってしまう。

このような経験をすることは馬鹿馬鹿しいと思う人も数多くいるだろう。わたしも半分はそのように思っている。しかし、「友達」以外の情報、例えば、アンスティチュ・フランセやイタリア文化会館など、そのほか数多くの組織からの情報が入るため、相手にしない手はない。お世話になった先生方や友人と始めた鳥に関する情報交換、様々なグループの交流もあるから、そもそも無視することはできない。膨大な出来事の集積がフェイスブックという場所だが、それをみて思うことは「自分の時間を大切にしよう」と痛切に感じることである。何か逆説的ではあるが、人は人、そのことをフェイスブックは日々気づかせてくれる。

個人的な情報が日々「流れていく」様をみていると、人が過ごす時間の多様さに驚かされる。わざわざ今日は何を食べただの、このラーメンが美味しいなど、わたしにとってはどうでもよい情報(わたしはラーメンを食べない)が写真付きで流れてくるのには呆れるが、先日、大学時代の同級生が帯状疱疹になった、といった個人的な情報を流してくれたおかげで、わたしの症状も同じ帯状疱疹であることに気づかせてくれたから、馬鹿にはできない。こういうわたしもくだらない情報を数多く提供している。

ようはフェイスブックとの付き合い方の問題ということに決着できそうである。少なくとも、くだらないテレビ番組より役に立つ情報を得られることだけは確かである。

by kurarc | 2017-05-20 21:04