セザンヌ再び

小林秀雄の『近代繪畫』を読み直している。調べてみると、小林が、ちょうどわたしと同年代の頃書かれたものであることがわかった。この本を例えば10代の少年少女が読んで、その内容を理解できたとしたら、きっと早熟の天才だろう。小林が注意深く選択した言葉は、わたしのような年代になってからでないと響いてこないと思われるからである。特に、セザンヌのような画家は、晩年になって初めて理解できるような画家である。

小林秀雄の『近代繪畫』は、大きくセザンヌとピカソについての本といって良い。分量で言うと圧倒的にピカソにページを割いている。ボードレールののち、モネを取り上げ、セザンヌに移るが、モネはセザンヌを取り上げるためのイントロに過ぎない。

小林はもちろん原書で様々なセザンヌ論やセザンヌの手紙などを読んでいるようで、その内容は深い。例えば、セザンヌが使う「モチーフ motif」という言葉は、「絵画の主題」といった意味に使っているのではないといい、「導調」という訳語をあたえている。セザンヌは作曲家ワグネル(ワグナー)のこの言葉からインスピレーションを受けて使用していると小林は分析しているように、セザンヌの理解には音楽の理解が不可欠であることがわかる。

そのほか、小林はセザンヌの手法を「自然という持続する存在」を掴むこと、「画家にとって光は存在しない」といったセザンヌの言葉を引用し、セザンヌの絵画の深淵の探求に向かっている。こうした探求は10代の少年少女たちには理解は不可能であろう。

ゼザンヌは、わたしに絵画という音楽と哲学を含む芸術を改めて気付かせてくれた。わたしはセザンヌをまったく理解していなかったのである。セザンヌは大人のみが理解できる画家といってよいのではないか。

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by kurarc | 2017-06-03 13:36 | art

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