小説嫌いの克服


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この夏、小説嫌いを克服しようと思い、いくつかの長編と中編小説にチャレンジすることにした。小説嫌いを克服することだけでなく、この作家の小説を読みたいという欲求もあり、およそ4冊(3冊を読了、1冊は読書中)を読み終えようとしている。

ジュリアン・グラッグ作『アルゴールの城にて』から始まり、ガルシア・マルケス作『百年の孤独』、アントニオ・タブッキ作『供述によるとペレイラは・・・』、最後に、ジュリアン・グラッグ作『シルトの岸辺』を読書中である。

最初に、グラッグの中編小説を選択したのが功を奏した。それは、比喩に比喩を重ねた難解な文体の小説であり、これを読み終えると、マルケスの『百年の孤独』の素直な物語は容易に感じられるようになっていた。タブッキの中編の方は、リスボン(及びその周辺)が舞台であり、わたしにはその街路名や地名までおよそ検討がつくため、一気に読み終えてしまう。そして、最後に、再度難解なグラッグの長編に挑戦中というところである。

特に、マルケスの『百年の孤独』を読むことは、ここ数年の宿題のようなところがあり、ノルマをやっと果たせたという爽快感が読書後にこみ上げてきた。マコンドという村が近代という時代に飲み込まれていく物語であり、その村に住むある家族の100年を超える生き様を壮大、かつ肉感的なディテールに富む文体で表現しており、ノーベル文学賞を受賞したのもうなずけた。

グラッグの小説は、最近興味を持っているシュルレアリスムとの関連でずっと読みたいと思っていた。グラッグの文体は、時間を超越したところがあり、夢の中をさまよっているかのような小説といったところがある。グラッグのフランス、ナントを主題にした都市論にも興味がある。

タブッキは、以前からポルトガルとの関連で読んではいたが、名作と言われる『供述によるとペレイラは・・・』は読んでおらず、この4冊の中では最も力まず読み進んだ。最初は気の抜けたような描写が続くが、それはタブッキの戦略で、最終章に向かうにつれて、緊張感が増していく小説であり、全く飽きることがなかった。タブッキとリスボンの都市との関係について考察したいという企みが頭の中にあるが、どうなることか?

小説も良いものだ、と久しぶりに思えるようになったが、これらの海外の作品に触れるにつけ、日本人による小説もこうした海外の作家にひけを取るものではない、と改めて感じられるようになった。日本人の小説は今後の課題、宿題である。

*タブッキの翻訳者は著名な翻訳者、須賀敦子さんである。しかし、以前にも指摘したことであるが、この作品で何度も登場する「リシュボア」という発音表記と「サウダージ」という発音表記は、明らかに間違いである。正しくは、「リジュボア」と「サウダーデ」(わたしは「サウダーデゥ」と表記したいところだが)となる。特に、ポルトガル、リスボンが舞台であるにもかかわらず、なぜ「サウダージ」とブラジルポルトガル語発音に表記するのか理解できない。翻訳者とともに、編集者の責任でもあろう。これだけ著名な翻訳者でありながら、その他のポルトガル語発音表記についても間違いが多い。ポルトガル語を軽んじているとしか思えない。

この発音表記に関しては、わたしも苦い経験がある。『ポルトガルを知るための50章』の出版に参加した時、わたしの文章の中に、「リジュボア」と表記しなければならない箇所があった。しかし、出版社の編集者は「リズボア」と表記するというのである。わたしの意見は通らなかった。第2版増刷の校正時、初めてわたしの「リジュボア」という表記を認めたのである。初版時から十数年が経ち、(ポルトガルの)ポルトガル語発音が一般に浸透し、やっと編集者も気づいたのであろう。
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by kurarc | 2017-08-27 12:32 | books