『三陸海岸大津波』(吉村昭著)を読む

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地元三鷹市に太宰治の資料と吉村昭の書斎を移築して文学館をつくるという構想が進められているという。三鷹市井の頭在住であった吉村昭の名前は知っていたが、恥ずかしながら著作は読んだことがなかったため、まず興味を引いたタイトルの著作を読んだ。(わたしの好きな映画『魚影の群れ』の原作者が吉村昭であった)

海をテーマとした著作が多いことで知られる吉村は、漁村などに取材に行くことが多かったのであろう。その中で、三陸海岸の津波の証言を記録することを思い立ったという。この著作の初版は昭和45年。明治29年、昭和8年の津波、および、昭和35年のチリ地震津波の3つの被害の状況を簡潔に記録したものである。

読み進めると、3.11でわたしたちが目の当たりにした出来事が全く同じように過去に起こっていたことを記録している。異なっていたのは、まだ、原発がなかったということだけである。この証言集が優れているのは、その前兆、被害、挿話、余波、津波の歴史から、子供たちの証言、救済方法まで記録されているということである。

例えば、津波災害の後、夥しいし死骸を探す方法として、「死体から脂肪分がにじみ出ているので、それに着目した作業員たちは地上一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の湧く箇所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになった」といったことであるとか、子供の証言として、親しい友人の死体にその名前を呼びかけると口から泡を吹いた、といった記録を紹介している。この地方では、昔から死人に親しい者が声をかけると口から泡を出すという言い伝えがあるというが、そのことが本当に起こり、涙を流したということである。

吉村はこうした証言を津波を経験した老人たちから聞き取る一方、子供たちが残した作文まで発掘したのである。こうした記録を3.11で被害を被った地域の人たちは共有できていたのだろうか?きっと大半の人々は平和な日常の中で、忘れ、風化させてしまったに違いない。

津波の後、大木の枝に1歳にも満たない乳幼児が引っかかり泣いていた、という話や、津波のとき、ちょうど入浴中で、その風呂桶ごと津波に流され助かった、という笑うに笑えないような話まで、生死の境界はまさに偶然の出来事の重なりであったことがわかる。

この著作は、3.11以後再評価され、多くの人々が手に取ったというが、それでは遅かったのである。こうした書物が平和な時代に読み継がれるような時間、場所がどうしたら可能となるのか大人たちは考えていかなければならない。次は、きっと東海沖地震(こちらの対策は着々と進んでいるが)、そして巨大噴火(破局噴火)に備える番であろう。



by kurarc | 2017-10-06 17:19 | books