芥川龍之介と南蛮、日本語の難しさ、日本語の未来

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新潮文庫の中に、芥川の『奉教人の死』というタイトルの文庫がある。芥川がキリシタン文学を研究し、当時の文体を借用しながら実験的な作品をつくったものなどをまとめたものである。その内容にも興味があるが、ポルトガル人やスペイン人が渡来した16世紀に日本人が彼らの話す言葉をどのように日本語に書き写したか(発音したか)が、芥川の作品の中に散りばめられていて、興味深い。

例えば、以下のような言葉(ポルトガル語)である。(左:当時の読み方、右:現在の発音(わたし自身がカタカナで記す場合)

*はらいそ(意味:天国)/パライーゾゥ
*いるまん(意味:兄弟)/イルマォン
*えけれしゃ(意味:教会)/イグレージャ etc.

当時の日本語にあった音に関しては、かなり近い音を書き取ることができたようだが、鼻母音などの難しい音は聞き取れなかったものと思われる。しかし、そのように断定することは早計で、もしかしたら当時、そのようにポルトガル人たちが発音していた可能性も否定できない。ラテン語だが、「mundi」を当時は「ムンジ」と書き取っていて、これはもしかしたら、ポルトガル語の「munde」(ムンドゥ)も「ムンジ」と発音していたとすれば、ブラジルポルトガル語と同じ音になり、古い発音が残っていると言われるブラジルポルトガル語に近い発音を当時の「バテレン」たちは話していた?とも推測できるのである。

こうした南蛮人渡来期の日本語の研究者の一人にあの広辞苑を編纂した新村出がいる。彼のもう一つの顔は、南蛮文学、キリシタン文学の研究者である。言語に興味を持つものにとって、このキリシタン時代の日本語に興味を持つということは必然的で、宣教師たちが研究した日本語は、当時の日本語がどのような発音と語彙があり、文法であったのかの貴重な資料なのである。

最近読んだ『漢字と日本人』(高島俊男著、文春新書)という書物の中にも、新村出が登場した。この書物で初めて気がついたが、明治から戦前にかけて制定された当用漢字は漢字廃止への流れの中で決まった、ということである。戦前の研究者は日本語の音標化、つまり、西洋の言葉のように日本語を表音文字化しようと真剣に考えていた。そのことに一人強く抵抗した学者が新村であった。新村の考えは、過去と現在を切断しないという日本語のあり方を述べたものであり、日本語を道具に過ぎないように考え、変革しようとした学者たちを痛烈に批判した、という。

わたしは、日本語の使い方がよく分からないことがある。その一つは、漢字で書くべきところとひらがな表記すべきところである。高島の書物を読み、その使い分けがある程度理解できるようになった。高島が言うには、和語としての言葉は、ひらがな書きでよいとのことである。(高島の書物により、本居宣長の意義についても、理解できるようになったことは収穫であった。)

高島によれば、日本語は畸形的な言語である、という。和語(やまとことば)、字音語(漢語+和製漢語)、外来語、混種語(プロ野球、食パンなど)といった様々な言い方、書き方が並存する。高島の考えは、これらを伝統として認めることでしか日本語の未来はない、という見解である。芥川の南蛮文学は、そうした多様な日本語のあり方の表現実験の一つであったと捉えるとよいのかもしれない。




by kurarc | 2017-10-25 22:14 | books