古典研究から

大学時代、古典研究という講義があった。例えば、ルドルフ・ウィットカウアーのミケランジェロの論文(英文原書)を読む、といった講義だったが、新しい分野だけでなく、過去に目を向けて、その中に同時代性を読むことと、今この時としての同時代を批判的にみる眼差しを養うことが目的であったと思う。

最近、自分で古典研究を意識的に行なっている。日本の古典、特に江戸以前の世界に興味が湧いてきた。それは、専門の建築だけでなく、少し前にふれた近松門左衛門の人形浄瑠璃(文楽)であるとか源氏物語といった文学の古典、古代の夢の世界であるとか(『古代人と夢』西郷信綱著)、遊民、漂流民の世界(瞽女、道の人など)等々。日本の漂流民からは、ユダヤ人についての興味へ、また、カリブ海流域のクレオール文化への興味へとつながっていっている。建築では、現在、龍安寺石庭や法隆寺夢殿など、「もの」としての捉え直しではなく、文化としての捉え直しに興味を持っている。

こうした分野へなぜ興味を持つのか。それは頭の中の認識を流動させること、固定した歴史観を疑うためである。例えば、『古代人と夢』(西郷信綱著)からは、古代において「夢」とは、ある特権階級の者にとっては個人を超え、祭式的なものであったこと。夢託を乞い、公的な性格をもつものであったことなどを知ると、今まで「夢」という言葉から想像していた世界は一気に崩れ去り、また新たな世界が見えてくるという新鮮な認識を獲得できる。(この著書のあとがきで市村弘正氏が言及しているように、西郷氏の認識は、ベンヤミンにもつながっていく)

こうした自己認識の揺さぶりを行う時期というものは、それぞれある年代の中で行われていくものだろうが、ちょうどわたしの場合は、この50代後半という年齢が適齢期を迎え始めたということなのかもしれない。今はそうした様々な分野での発見がおもしろくて仕方がないような状況である。この歳になって遅ればせながら「学ぶ」ということがやっとできるようになった、ということなのかもしれない。

[PR]
by kurarc | 2017-11-21 01:04 | archi-works

Archiscape


by S.K.
画像一覧