アントニオ・タブッキ作 『レクイエム』

今年の初読書は、タブッキの『レクイエム』であった。リスボン(およびその周辺)を舞台にした小説である。「わたし」がたどるリスボンの道行きの小説であり、その中で23人の生者、死者とも判明しない人々と会話をする。その最後に会うのは、あのフェルナンド・ペソアという20世紀、ポルトガルの詩人である(と思われる。ペソアということを断定しているわけではない。)。

「わたし」は様々な職種の人々と巡り合っていくが、その中で、ある人とは日常的な、またある人とは哲学的な会話をする。特に興味深いのは、リスボン国立美術館で交わされるボスの絵画「聖アントニウスの誘惑」(下写真)についてである。この絵画を模写する画家との会話であるが、この画家は、この絵をすでに10年間拡大し、模写し続けている。この絵の中に登場する胴体のない生き物は「グリロス」と呼ばれること、この絵画は昔、霊的治療の用途を持っていたことなどが交わされる。

この小説は、最終的にはタブッキ(ペソアの研究者)のペソアに対するレクイエムであり、ペソアと別れを告げるために書かれた小説のように感じられた。あるいは、20世紀が終わろうとする時代に書かれた20世紀に対するレクイエムとも読める。

リスボンの街路、およびその周辺の都市を知るものにとって、この小説の道行きは興味深い。わたしはある程度、この小説の中に登場する街路がどのような街路であり、地景であるか想像できるため、なおさらこの小説から訴えかけてくるものの魅力を強く感じる。

最後にこの「わたし」の道行きは、現実であるのか、あるいは夢であるのか?それはこの小説を読んで確認してもらうしかない。死者たちとの会話は、わたしにピランデルロの小説、上田秋成の『雨月物語』や溝口健二の映画、最近の黒沢清の映画を想起させた。それは瀕死状態の国家(ポルトガルほか南欧諸国)のメタファーでもあるのだろう。

昨年、久しぶりに小説を読むことの楽しみを覚えたが、今年は、タブッキのような相性のよい小説家の作品を多読したいと思っている。

*この小説の中で、名前が出ているが、会話を交わさない「イザベル」がいる。このイザベルはどうしたのか?タブッキはそのイザベルについて、別の小説(『イザベルに ある曼荼羅』)に表現しているようだ。
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by kurarc | 2018-01-03 14:28 | books

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