同じ顔、違う言葉の人たちへ

明治以降、近代化の流れの中で、われわれは特に欧米圏の語学(特に英語、戦前、旧制高校では英語の他、ドイツ語、フランス語など)を必修としてきたが、そろそろこうした教育方針が不自然に思えてならない。

こういうわたしもアジアに興味がないわけではなかったが、むしろ視線はヨーロッパの辺境、イベリア半島に向いていた。それは悪いことではなかったが、少し視野の広さに欠けていた。その視線の途中には、アジアがあるのだが、そして、そのいくつかの国にも旅に出かけたが、その土地に住もうなどとは思わなかった。それはわたしの奢りでもあったと思う。アジアを旅しながら、日本より遅れている、いわゆる後進地域という認識であったことは否めない。

台湾や中国映画などアジアの映画をみながら、わたしの考えが少しずつ変わってきた。わたしと同じような顔の人々がなにか愛おしくなってきた。同じ顔で違う言葉を話す人々(特に中国、台湾、韓国の人々)がどのように育ち、何を考えているのかが気になってきた。アジアの一部の富裕層はわたしなどよりも徹底的に欧米教育を受けているものもいるのだろうが、日本人のように欧米にかぶれているような人は日本より少ないのではないか?

ジェイ・チョウのようなポップス系のミュージシャンがピアノを弾きながら、一方で伝統的な楽器も弾きこなしていることをYou tubeでみると、その懐の広さに驚かされる。アジアが少しずつわたしに近づいてきている。この懐かしさのような愛おしさをもちながら、一方で冷静にアジアを学習していきたいものである。

*下写真:映画『台北カフェ・ストーリー』の中で、リン・チェンシーが自転車で台北の街を走るシーン。この映画で最も気に入っているシーンである。この自転車のシーンと雷光夏(サマー・レイ)の主題歌が見事に調和している。こうしたシーンをみていると、何かアジア人としての血のようなものがふつふつと湧き上がってくるのである。この映画ではグイ・ルンメイより、リン・チェンシーのだらしない、かったるい演技が光っている。

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by kurarc | 2018-12-06 01:26

Archiscape


by S.K.
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