エッフェル塔 130周年

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ロラン・バルトの『エッフェル塔』を読んで、エッフェルの業績について無知だったことに気づき、早速、3、4冊のエッフェル塔関連の書物をそろえた。その中でも、手軽に読めるものに、倉田保雄氏の『エッフェル塔ものがたり』(岩波新書)という名著がある。この一冊を読むだけで、エッフェル塔についての文化史がおよそ把握できる。

この著書によって、地上およそ300メートルの高さのエッフェル塔を19世紀末に建設することがいかに困難な仕事であったのか、また、エッフェルという建築家であり技術者、研究者がいかに優れた人物であったのかについてもよく理解できた。

エッフェルはエッフェル塔を建設する以前に鉄(錬鉄)の橋の建設により技術(圧搾技術や水力機械の技術とその応用)の蓄積があったことが、エッフェル塔を建設する上での礎になり、バルトに「立った橋」と形容されたエッフェル塔を平均およそ200人という少人数の熟練労働者に建設させた。竣工までに労働者が死亡するような事故もなく、「鉄の魔術師」としての本領を発揮することに成功したのである。

しかし、一方様々な困難も当然存在した。まずは若くして妻を亡くしたこと(5人の子供が残された)、エッフェル塔建設時に労働者のストライキに遭っていること、知識人たちからのエッフェル塔に対する批判etc.あげればきりがないくらいである。そうした困難を乗り越え、エッフェル塔が竣工した折には労働者をねぎらうことを忘れず、かつてストライキを起こした労働者たちは涙を流しながら竣工をエッフェルとともに喜んだという。

エッフェルの家系はドイツ系フランス人である。純粋なフランス人など存在しないと思われるが、こうした緻密な仕事を成し遂げたのは、ドイツ系という血筋も一役かっているのかもしれない。エッフェルの業績はエッフェル塔だけではもちろんない。正月休みを利用して、調べてみたいと思っている。

2019年3月31日、エッフェル塔は竣工130年を迎えることになるから、パリではなんらかの催しがあるに違いない。

*エッフェルの血筋は、ドイツ領アルデンヌ地方に住んでいたジャン・ルネ・ベニックハウゼン(エッフェルの曾祖父)がパリに移住してきたことからはじまる。1711年に結婚したおりに、エッフェル-ベニックハウゼンと改名。エッフェルとはアルデンヌ地方の丘陵の名前「Eifel 」。これをフランス風に「Eiffel」としたのだと言われている。(『エッフェル塔ものがたり』より)

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by kurarc | 2018-12-31 12:37 | France